いいかげん日記

思いついたことをただひたすら書き殴るいいかげんな日記です。

パン焼く間に書いてみた

更新です。

 

今回の話題はこれ↓

「なんとなくの未来想像と拠点作りの方向性」

 

はい。

今回は最近のニュースや動向から私が将来に対してなんとなく考えていることと、いま私が構想している拠点作りについて思いつくままに書いてみようと思います。

 

最近、2017年くらいでしたかね?「AIが教師なしデータで猫を認識した」っていうニュースが出たのは。

あれを聞いたときはニュースの内容に衝撃を受けて、当時の後輩にそのニュース教えたときの「はは、猫っすか、実用化はまだまだ先ですね!」というめちゃくちゃ浅いところで反応されたことに対してさらに衝撃を受けたことを覚えています。

 

そこから5、6年経って、機械学習やAIは実用レベルまで進歩して、それこそ「ネコも杓子も」AIや機械学習を使うようになりました。

(直近のAI関連でホットな話題としては、キーワードを入力するだけで絵を描いてくれるMidjourneyがありますね。)

 

他にも、スーパーに行けばセルフレジも当たり前になりつつあるし、UberEatsみたいに食事だって自宅にいながらお店の料理が食べられるようになってきました。

仕事だって、新型コロナの流行によってリモートワークというワークスタイルが一気に(ただし恒久化するかは不明ですが)広まり、多くの人がリモートでも回せる仕事があることが認識されたと思います。

 

この流れをさらに推し進める企業はVRメタバースというような仮想空間で仕事をしようとすらしているようですね。(この目論見は一旦潰れそうな気はしますが)

 

技術の進歩は基本的には歓迎されつつも、一部の人たちからは懸念が表明されてもいます。

例えば、AIの実用例が増えるにつれて「人の仕事が奪われる」という言説もありましたよね。

この主張に対しては、「AIに一部の仕事を任せることで人間はより人間らしい仕事に注力できるようになる」という意見や「AIができることはまだまだ限られており、恐るるに足らない」というような意見もありました。

 

こんな社会環境の変化(主には情報技術の進歩)を受けてか、教育の分野でも「プログラミング教育」に代表されるような、IT関連の教育を取り入れる動きが出ているようですね。

twitterなんかを見ていると、基本情報技術者試験レベル(?)のことが高校(?)の教科書に載っていて思ったよりレベルが高いようだ、とかいうツイートも見かけたように思います。

 

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このような世の中の動きの中に流されながら、なんとなく心配していることがあります。

 

それは、

今後、人と人との"非効率な"コミュニケーションは贅沢品になるかもしれない

ということ。

 

AI以前の、これまでの技術の発展は、主としてモノに関する進歩だったように思います。

モノに関する(=製造技術の)進歩より、多くの人が快適な生活ができるようになったと思います。

ただ、技術が進歩するのと引き換えに天然の、自然な食品や物資は高級品と認識されるようになったように思います。

 

たとえば、添加物や農薬などを使っていない食品は、技術の発展していない時代には誰もが(といってもアクセスできた人やその量は圧倒的に少なかったでしょうが)当たり前に食べていたのですが、現代において無添加や無農薬な食品はいまは"非効率的な"生産方法となっており、無添加・無農薬な食品はそれだけで付加価値がつく時代になっています。

 

建築資材でも、合板やプラスチックなどの技術的に"高級な"生産物が広がるにつれて、無垢材などの技術的に"低級な"生産物が高級品になっています。

 

 

現在の発展は情報を扱う技術の発展が著しいです。

人間は大昔から情報を扱う技術を持っています。

その最も基本的な技術は会話によるコミュニケーションです。

 

私は今の情報技術の発達によって、「人と対面で会話することそのものが高級品となるのではないか?」と思っています。

 

もう、ビジネスの世界ではそうなりつつありますよね。

 

電話なんかは"同期的"で"記録に残らない"伝達手段は"非効率"であり、「用事があるならメールやチャットで連絡しろ」という意見に同意する人たちは多いように思います。

 

また、リモート会議ができる環境では、わざわざ同じ場所に集まって話をするという"非効率的な"手段を取るためには、今まで必要のなかった何かしらの理由が必要になり、必然的にその機会は減っていきます。

 

また、今の10代20代は私生活でもいわゆる"タイパ"を意識して、より短い動画を好み、話題の動画やアニメを1.5~2倍速で視聴したり、見どころ以外をスキップして視聴することでより多くの動画コンテンツを消費するという話も聞きます。

 

この傾向がこれからも継続していくのであれば、その場その時にいる限られた人でしか共有できない対面での人との会話は非効率な時間の過ごし方であり、「そんなことをするのであれば動画を見たりtwittertiktokなどのSNSでテキスト、動画などの形式でコミュニケーションを取った方がよい」という価値観が一般的になってしまうような気がしています。

 

もし仮に一度この価値観が広まってしまうと、誰かとおしゃべりしたいと思っても、同じように思っている人が少なくなってしまい、気軽に誰かに声をかけることができなくなってしまう。

 

だって、「時間がもったいない」から。

 

そうやって、"効率的に"生きる人が時折感じる寂しさを「人間との会話サービス」を購入することで埋めながら、また"効率的な"生活に戻っていく。

 

他方で、そういう何気ない会話やその場・その時に居合わせた限られた人と過ごすその場限りの時間が人生の満足度や幸福に直結することを認識し、かつ、そんな"非効率さ"を許容できるほどの心理的、時間的、金銭的な余裕がある人間のみが今までのような対面でのコミュニケーションを続けるようになる・・・

 

一歩間違えると、そんなディストピアが近い将来現実になってしまうように思うんです。

 

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私はそんな世の中にはなって欲しくない。

 

でも、大きな流れを変えるほど影響力を持っていない。

 

だから私は拠点を作りたいのです。

 

自分の手の届く範囲で荒んでいく社会の一角に、小さくとも機能するシェルターが作れれば、少しは人の役に立てるはずだと思っています。

 

「あそこに行けば、誰かが居て、気兼ねなくおしゃべりができる」

 

そんな場所を作っておきたいと思っています。

 

 

これは地域の人のためにも、自分や家族のためにも。