いいかげん日記

思いついたことをただひたすら書き殴るいいかげんな日記です。

なんの気なしに書いてみた

更新です。

 

今回の話題はこれ↓

「生産と消費」

 

はい。

今回の元ネタ!

 

 

連休に入ってから、C#を使ったフォームアプリの作り方についてずっと勉強してたのですが、今日はこの暑さでさすがに集中できず、アマゾンプライムでドキュメンタリー2本を観ました。(今年に入って初めてまともにエアコンを稼働させました。笑)

 

それに触発されて久々に記事を書いています。

 

この手の食に関するドキュメンタリーはちょくちょく観てるんですが、この社会の仕組みのバランスの悪さというか、影の部分を思い知らされますね。(ただ、『ステーキ・レボリューション』の方は、環境問題とか食の安全というよりも、ただただ真摯に肉に向き合う内容なので明るいのですが。)

 

 

 

以下、1テーマで書ききれなかったので、徒然なるままに書き散らします。

 

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さて、コロナ流行の騒ぎで外出もできず、暇していたGWの最終日に思い立ち、干しぶどうから天然酵母を起こしてからというもの、毎週末パンを焼くことが習慣化していまして、ウチの朝食ではもっぱら自家製天然酵母パンが出てくるようになりました。

 

炊飯器の取説に載っていたレシピを見ながら焼いた丸いパンから始まり、パンづくりの動画を上げているユーチューバーを師匠として崇め、弟子入りと称して動画を何度も見ながらパンを焼き、図書館で借りた天然酵母パンのレシピ本と師匠の動画の内容を交互に試しながらアレンジを加えて、最近ようやくまともに膨らむパンの作り方を掴んできました。

 

最近はもっぱらバゲットだけに集中しており、より気泡が大きく、酸味の少ないパンに仕上げる方法を研究する日々です。(とはいえ、日々の試行錯誤を記録するわけでもなく、鈍い感性と脆弱な記憶に頼る研鑽なので進歩はすこぶる遅いですが。*1

 

そんなことをしながら、週末エンジニアとして、LinuxサーバやWindowsサーバをいじくり回しながらOSSの調査をしたり、『ハッキングラボのつくりかた』なる本を買ってハッキングの疑似体験をしてみたり、ラズパイで遊んでみたり、今回のようにC#でフォームアプリを作ってみたりしています。

 

はたまた、朝起き抜けはほぼ必ず米国株と仮想通貨の相場をチェックしながら、「はやく株上がってくんねーかなぁ。早いところ1億くらい稼いでリタイアしたいなぁ」なんて思いながら、これからの投資プランを考えたり考えなかったりして皮算用をしていたりしていなかったりしています。

 

で、土曜日の夜になるとマル激なんか流しながら、「今の日本は腐ってるな!」なんて怒ってみたりしながら、ボケっとしてます。

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そんな感じで日々を過ごしながら最近考えることは、最近は毎日のように聞く「消費者」って言葉(あるいは、表現の仕方)です。

 

私、思うのですが、「消費者」って言葉はとても極端な表現というか、この社会/時代を反映している(代表している)言葉じゃないですか?

 

おそらく、マーケットで「消費者(コンシューマ)」という言葉を使う場合は、注目する財/サービスの受益者というか、受け取る側の立場/役割を指す言葉だと思います。(要は、意味が限定されている、という意味です。)

 

当たり前ですが、1人の人でも消費者であり生産者でもある状況は成り立ちます。

 

なのに、「生産」や「生産者」よりも、「消費」や「消費者」という言葉の方がよく聞くように思います。(日本には「消費者庁」という官庁もありますね)

 

ニュース番組(動画)でも「消費者として...」のように自分のことを「消費者」と称する場面にも出くわしたりします。

 

私はこのような場面に出くわすたびに、頭の片隅に軽い違和感が残ります。

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最近は、ニュースもコロナ一色。

コロナ関連の街頭インタビューなんかも毎日のように流れていますが、そんなインタビューでは「コロナの影響で外出もできず、ストレスが溜まる」という意見(コメント?)を言う人の映像が流れていたりします。

 

ただ、私にはその感覚がよく理解できなかったりしています。

(皆さん、平時の週末はいったいどこに行ってるのだろうか。)

 

もともと、娯楽/アミューズメントには人よりも興味関心が薄いようで(音楽は聞くけどライブには行ったことがない)、それらの楽しさは理解できるが、積極的に求めることは本当に稀だったりする。

そんな感じなので、娯楽/アミューズメントや買い物好きの人から私の実体を見ると、おそらく無趣味でつまらない(生きてて何が楽しいの?と問いたくなる)人間に映るのではなかろうか。

 

私も思春期は、周囲との(この)感覚のズレに戸惑ったこともあったが、今はこう考えることにした。

  おそらくこの世の中には「消費を好む人」と「生産を好む人」がいる。

  大半は「消費を好む人」だが、自分は「生産を好む人」なんだ、と。

 

たぶん、私の休日の過ごし方は変わっているんだと思う。

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昔と比べると、実生活に生産する機会が少なくなった(生産しなくても良い生活が成立するようになった)んだと思う。

 

そのうち、意識しなければ、生活の場に生産する機会が一切入り込まない環境が整ってしまうかもしれない。

 

そんな状況が苦痛な人は少なくないと私は予想している。

全員が「消費生活」を100%謳歌できるとは思えない。

それくらいバランスが悪い生活様式だと思う。

 

コロナで外出ができないいま、生産をしてみてはどうだろう?

もしかすると、自分は「生産を好む人」だったことに気づくかもしれない。

「作る」を覚えると、外出できなくてもそこまで暇することはないのではなかろうか。

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映画に戻る。

私は、食品に対しては消費者でありつつ生産もし、現職に対しては生産者であり、会社を出ると投資家でもある。そしてなにより、この地球に棲息する生物の1個体である。

 

いま振り返ると、置かれた状況によってこれらの「モード」が切り替わり、物事を思考していることに気づく。

 

食に関するドキュメンタリ映画では、たいていが大企業や投資家が私利私欲のために環境を破壊し、弱小の農家を搾取する悪者として描かれる。

 

でも、映画が終わると、将来のアーリーリタイアに向けて資産運用を、と投資関連のwebページを開いたり、「食品関連の株で良い優待はないかな」なんて調べたりする。

 

食品関連の産業の問題点は深刻で、でも、投資のリターンは大事。

まだ、私の中でここらへんが分離している。

 

消費者/生産者の境目については違和感を覚えるのに、ここに対しては別個に考えられるということは、私のなかではまだ、投資家、生産者/消費者、生物としての存在がうまく関連づけられていないんだと思う。

 

 

 

眠くなってきたから今日はここらでやめましょう。

おやすみ。

*1:わかっているなら記録しなさいよ、と言うでしょうが、そこは敢えて耳を貸さない所存です。)