ノートについて書いてみた
更新です。
今回の話題はこれ↓
「紙のノートを手放せない理由」
はい。
この2日間、ライフハック的な「意識高い風」の話題を連投してるのは通勤と帰宅の時間にこの本をAudibleで聴いているからなのです。
「ライフハック大全ーーー人生と仕事を変える小さな習慣250」 堀 正岳、KADOKAWA
どうも、影響されやすいタチでして 笑
で、今回もその手の話を書きたいのですが、今回書きたいことは、
『「電子化、電子化」と言われているけれど、それでも紙媒体が手放せないのは偏に電子媒体では体験できない圧倒的な「安定性」と「一覧性」があるからだと思う。』
ということ。
私は、ものを考えるときに使うツールを電子化できないでいます。
会議や打ち合わせなどでメモを取る程度なら、手書きよりPCの方が早いので電子化されていますが、何か新しい仕事の内容を頭に叩き込むときや、思考や情報を整理するときは、未だに紙のノートを手放せません。
電子化の順序として、普通の人とは逆なのかもしれませんが、これがどうにもダメなのです。
何かと何かを比較する
資料に注釈を加えて保存する
他の資料との対応関係を記録する
などなど、内容によってやることは色々あるのですが、こういうことはノートをスクラップブックのように使って、そこに手書きで線やコメントを書き込むのが結局一番使い勝手が良いのです。
そうやっていちいち切り貼りしてノートを作るのは非常に面倒くさいし、ペーパーレス化が叫ばれる今の御時世、PCを目の前に、印刷した紙の資料と糊・ハサミ・ペン・ノートをデスクに広げて工作まがいのことをするのはけっこう気恥ずかしいのですが、一度作ってしまったら最強です。
何が最強って、そこに情報が「完全に」固定されているという物理的・心理的・圧倒的(?!)安定感と、ページを開いたときに見開きで資料を一望できる優れた一覧性(と、糊付け前なら思いつくままに形式を決められる柔軟性)があることが最強なのです。
この点は、現代のどんなに優れたガジェットでもソフトウェアでも太刀打ちできないと思いますよ。
あのジョブズですら超えられなかった壁だと、勝手に思っています。
仕事内容毎にノートを分ければ、その仕事に関する情報を高密度に凝集させ、蓄積することができますし、まずもって散逸することはないのです。
そして、各ページにノンブルを付けてあげれば、少し離れたページに貼り付けた資料や記述について言及する際も「→ p10 参照」と書いておけば、十分な検索性も確保できます。
この紙のノートが与えてくれる圧倒的な安心感は、昔なら当たり前だったのでしょうが、今となってはもはや有り難さすら感じます。
ただ、情報密度や安定性、検索性というだけなら、しっかりとフォルダ管理されたEvernoteでも同等かそれ以上の利便性は享受できます。(ファイル管理のスキルがあれば、ですが。*1)
でもね、Evernoteでは「見開き1ページの一覧性」は体験できないんだな。
そして、この「一覧性」ってのが(私の場合は)資料に基づいて思考するためにとっても重要な要素だったりするんです。
情報の「安定性」と「一覧性」を兼ね備えているのは、なんだかんだで唯一、紙のノートなんだ、
っていうのが現段階での私の持論です。
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追記:
でも、こういうノートの使い方って、社会人になってやっと気づいたことだったりします。
この手のアイデアを学生時代に知っていれば、勉強の仕方も随分と違ったと思うなぁ。(遠い目)
今振り返ると、学生時代は何十冊もノートを無駄遣いしてしまいました。(授業中に一生懸命(?)に取ったノートのほぼ全てが「黒鉛(と少しのヨダレ)が付着した紙ゴミ」になっただけでした。)
ほんと、大事なことって、ことごとく、誰も教えてくれないものなんですね。(それはもう、笑っちゃうくらい。)
*1:この「ファイル管理のスキル」ってのが簡単そうに思えてとっても難しんだよね、これが。。