ただただひたすら書いてみた
連投です。
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「無礼に遭遇したとき、何に対してムッとするのか?」
はい。
またわかりきったことを書くなぁ。
って感じですね。
私もそう思います。(!?)
ただ、これについて考えたときに、「ちょっと面白いなぁ」って思っちゃったので。
当たり前なことですが、書いてみます。
さて、他人の無礼に遭遇したとき、私たちは何に対してムッとするのでしょう?
例えば、後輩やら部下やら、目下の人の不作法な言葉遣いに遭遇したときなんかを想定しましょう。(程度によっては「そこまで気にしないよ」って人も多いでしょうが、ムッとする人の気持ちも全くわからないではないと思いますので)
言葉遣いに無礼があるんだから、言葉遣いに対してなのだろう。
本当か?
では、なぜその言葉遣いが「無礼」なのか?
例えば、ところ(宗教?)変われば、人の頭を触ることがこの上なく無礼な行為になるし、手のひらを人に見せることも無礼な行為になることがある。
でも、この国では、一般には、そのどちらも無礼な行為としては認識されていない。
こういうことから察するに、「本質的に無礼な言動」ってないんでしょうね。
では、一体何にムッとするのか?
「『無礼な言動』とされていること、あるいは『私が腹を立てるであろう』ことを知っていながら、あえてされている」という可能性に対して、ムッとするのでしょう。
つまり、相手に悪意がある可能性に対してムッとする、ということ。
・・・やっぱり、当たり前か。
でも、こんなことをいちいち考えなくても、どんなにナチュラルに、無邪気に、本人に悪意がないであろうことがわかっていても、他人の無礼に遭遇すると、やっぱり引っかかりますよね。
この感度の良さというか、他人の悪意が存在する可能性を瞬時に嗅ぎ分ける能力というか、これって、結構すごくないですか?
(稀に、「お前はバカにされたんだよ」って指摘されて気付くこともありますが。。。)
だって、必ずしも、相手の悪意が存在する可能性を自覚的に導き出してからムッとしてるわけじゃないですもん。(いや、自覚してるか・・・??(なんて疑問に思っているってことは、やっぱり自覚していない?(いや・・・())))
ま、この手の感度が良いってのは、動物的な本能に由来するんでしょうね。