寝るのを諦め書いてみた
寝れられない。
昼間いっぱいコーヒー飲んじゃったからかなぁ。。。
というわけで、寝るのを一旦諦めて更新です。
今回の話題はこれ↓
「歴史を参照すること」
はい。
最近、小熊英二さんという方を知りました。
社会学者でいらっしゃるそうです。
話し方や話す内容などなどから、「(思想や感情などに関して)フラットであること」に細心の注意を払っているというか、非常に気を配っている人だなぁ、という印象を受けました。
こういう方のお話は安心して楽しめるので、好きです。
でまぁ、さっそく、その人の著書を買って読んでいるところで、ふと思いつき、こんな話題になりました。
でね、「歴史ってなんで勉強しなきゃいけないの?」みたいな疑問って、自分が(義務的に)勉強してたときに考えたり、小・中学生の子たちからの質問だったりでよくある種類のものですので私も自分なりに暫定的な解を出そうと昔からあれこれ考えているところなのです。
よくあるのは、「温故知新」的な、「歴史を勉強すると現状の問題に対してどのように対処すべきかがわかるようになる」的な、ざっくりいうと「使えるよ」という説明がありますよね。
正直、私にはなんとなくしっくりこない説明です。
なんとなく軽い。
「そんなもんじゃないだろう」と、どこかで思ってしまう。
では何か?
まだ、自分の中ではっきりと解があるわけじゃないけど、きっと「最後にすがる(すがりたくなる)もの」なんじゃないかな、って思うんです。
今生きている時代がわけわからん状態になって、未来なんてのも考えられる状態になくて、すがりつくものがなくなった時に「そもそも、なんでこんなことになっちゃったんだろう」って考える。
そうすると、自然と今に至る文脈を追うようになる。
そうやって、歴史って「困った人がすがりつくもの」になるんじゃないかなぁ。
上に書いた「使える」っていう説明と似ていなくはないのだけれど、やっぱり、何か違うと思う。
みんな上手くいってる時は、歴史ってあんまりぱっとしないけど、いざという時にとっても強い心の支えになったりするだろうし、勉強する人も増えるんだろうなぁ、と思うのです。
だから、きっと義務教育でやる歴史の勉強って、「最後にすがるものがここにある」ってことが知れれば、最低限はそれだけでもいいのかもしれない。