ちょっとついでに書いてみた
性懲りもせず更新です。
この記事でついに99本目。
へー。
そんなに書いたっけね?笑
よー書いたわ。
100本目は特別な何かをすると思いきや、たぶん、普段よりしょーもない記事を投稿すると思われます。
さて、今日はこれを元ネタに膨らませます。
なんかね、こういう話題好きなんですよ。
私、日本で生まれて日本で育った日本人ですが、日本のことあんまり知らないんですよね。
日本語の運用能力は、同世代の中では人並みなレベルを保てていると信じていますが、上の世代と比較すると、語彙も足りなければ、表現力も足りないことを痛感します。
言葉の語源だったり、言葉にまつわるエピソードみたいな、背景・コンテクストのような知識もない。
上の記事でもありますが、私もやっぱり基本は日本語を綺麗に話す・書くということをきっちりやった方がいいような気はしています。
ちょっと前にそう思い立って、国語辞典やら語源辞典やらを買ってはみたものの、買って安心してしまい、あまり開いていないという現状です。笑
さて、ここでちょっと転調させますと、今、再生医療の分野がアツいですね。
明るいニュースや暗いニュース、色々報道されておりますが、ここで「研究者」という人達にスポットを当ててみます。
ここでは、自然科学系の研究者を想定します。(最近、この手の話題多いなぁ。。。)
かく言う私も、某大学の研究室に所属しておりますので、ちょっとはこの人種の気持ちもわかるのですが、上の記事と引っ掛けて考えると、
なんと言いますか、仕事上では、もはや、日本人的振る舞いをしていないんですよね。
センセーショナルにいいますと、自然科学系の研究者になった時点で、職業人としては、ある意味、「日本人」ではなくなってしまう。というか、どこの国の人でもなくなってしまう。
これは、研究者に限らないのかもしれませんが、自分に対して高い目標を立てて、それに向かって走る人ほど、どんどん仕事での振る舞い方に「○○国の人」という感じがなくなるのではないかなと想像しています。
素晴らしい研究成果が出たら「国内誌」ではなく「国際誌」に論文を投稿する。
もちろん、論文は日本語ではなく、英語で書く。
学会なんかも、「国内学会はそこそこに済ませて、国際学会に全精力を注ぐ」という方もおられます。
それは、自分の研究が、「人類全体の知識の拡大に貢献しているのだ」という自信があればあるほど、やはりそういう傾向になっていくと思いますし、研究環境が向上するなら、活動拠点は日本でなくてもよい、と考える方もけっこうな数おられると思います。
というか、「より日本人的でない振る舞いをする人」が、日本で評価されるような仕組みになっている気がします。
そんなことを考えると、「自然科学系の研究者という職業を選ぶと、(もちろん、職業的な振る舞いに限った話ですが)日本人じゃなくなるんだなぁ」と感じるわけです。
賛成・反対とか、良い・悪いとか、そういうことを言いたいわけではなく、ただ、「そっかぁ」と思ったことを、上の記事を読んで思い出しましたので、ちょっと書いてみました。
PS
うん、これも前回の記事でいう「わかるけど、わからない」ことの1つだね。