いいかげん日記

思いついたことをただひたすら書き殴るいいかげんな日記です。

明け方だけど書いてみた

連投気味に更新です。


見方によっては世間的にタイムリーなのかもしれませんが、そういうのとは全く関係なく書きます。


今回の話題はこれ↓
「当たり前なことについて疑問をもったときの可笑しさ」について


要解説ですね 笑

ちょっと前に実家でドラマを観ていた時のことです。

ドラマの内容は、主人公の大学生が就活で苦しんでいるとき、父親が突然会社を辞めて主夫になると言い出してから父親と主人公の間や、主人公家族とご近所さんとの間に一悶着二悶着ありーの最後は主人公と父親が和解するお話でした。(これでわかりましたかね?笑)


ここからネタバレっぽくなっちゃいますけど、(一応、ちょっとだけスペース空けときます)













父親が会社を辞めた理由なのですが、仕事上のトラブルが原因で責任を取らされたというものでした。

具体的には、父親が関わった橋の設計にミスが見つかり、会社に大きな損害が出たというもの。




会社を辞める理由としては、実社会でもそこそこにある(のかな?)ことでしょうが、ふと思ったのです。


「仕事でも何かあったら誰かが辞めなきゃならない仕組みって、なんだか不思議だなぁ」って。



いや、理解はしていますよ。

そうやってケジメをつけないと、そう遠くない将来に組織の体を成さなくなるくらいにグダグダになって崩壊しちゃいますからね。

構成員がそれぞれ当事者意識と緊張感を持って行動するための仕組みですよね。



それはそうなのですが、もう少しだけ外側からこの仕組みを見ると

何かが起きる→誰かが辞める、何かが起きる→誰かが辞める・・・

何が起きるのかはさておき、その出来事がある閾値を越えると、この流れが動き出すし、それに対しては誰も疑問を抱かない。さも当然のように流れていく。

でも、誰かが辞めたからって、その「何か」を無かったことにはできないし、辞めて事態が改善することは、まず無い。

でも辞めてしまった人には、そのあと、非常に辛い状況に陥る可能性が高い。

それでも、辞めなきゃならない。



なんだろうなぁ、この感じ。



部族社会でもこういうルール、あるよね、的な?
村八分、的な?
目には目を歯には歯を、的な?(違う)



同じ感覚は経済に対しても持っています。

お金って、それ自体は何の役にも立たない紙切れだったりするのだけど、何故か(いや、わかってますよ? 笑)、みんなが欲しがる。
お金がないと、ひもじい思いをするし、いっぱい持ってるとなんか偉そうに振る舞える。

どんなにお金が嫌いでも、絶対に稼がなきゃ生きていけない(いや、本当は生きられるんだけどね)。

何故か知らんが、この世に生まれた瞬間から、望む望まないに拘わらず、経済のシステムの構成員に登録されて、ある一定の期間が経つと、「今まで散々恩恵を受けてきただろ。だから働け。」とでも言うように、経済システムを実際に回していくことを要求される不条理極まりない世の中なのに、誰もそのこと自体に不満を言う人はいない。

金がないことを愚痴る人はいても、この不条理さは愚痴らない。

これ、不思議じゃないですか?(いや、不思議じゃないこと、わかってますよ?)



十分共感できる習慣・ルールであるはずなのに、ちょっと考え方を変えると、自分の共感とは離れた、不思議な習慣として映る感じ。


私のこの何とも形容し難い、視点がずれるような感覚を共有していただける方はいらっしゃるでしょうか?笑

(今回は、いつにも増して表現しにくいからこの記事で共感していただくのは無理な話かもしれない。もどかしい。。。)


こういう、普段、常識の目で見たときに何の疑問も持たないことに、ふとしたときに疑問を持つと、その事柄に対して、視点を自由に行き来できる状態になるんですよね。

なんか、「理解できるけど、理解できない」って状態 笑


こういう状態になると、自分の世界が少しだけ広がった気がして、ちょっと嬉しくなります。


私、この感覚が大好きなんですよね。