時間もあるので書いてみた
更新です。
今回の話題はこれ↓
「雑談話」
はい。
今回は休日の外出の際に、立ち寄ったカフェでの雑談話の内容からひとつ。
何事も「バランスが大事」とはよく聞く決まり文句ですよね。
「過ぎたるは及ばざるが如し」
とも言いますし、どうしたって他人と関わらざるを得ない世の中ではやはり最低限必要な処世術というものもあると思います。
私も、「バランス」とか「中立」とか「中道」とか、そういうことを志向して色々なものを見聞きするように(これでも)努めてきたつもりです。
ただ、最近の私は少し考え方が変わってきたみたいです。
ネット上の言論や、書籍、その他メディア、出会った人との他愛のない話などなど、様々な場面で垣間見る自分以外の人の思想・信条に触れてきて、感じるのは
私から見てどんなに偏った意見を表明している人であっても多くの人は「自分が真ん中付近にいる」と考えている。
少なくとも「自分が『普通』や『常識』の範疇に収まっている」と確信している。
ということ。
そこから推測されることは、
私の思想・信条もどこかから見ればかなり偏って見えるし、向かおうとする方向も中心からは離れるような、トンチンカンな方向に動いているように見えるだろう。
ということ。
そして、
こんな小さくて出来も大して良くない頭で一生懸命考えたところで、アウトプットなどたかが知れている。
ということ。
結局、私の考えなど、ほんの数十年の有限な時間のなか、その場その場で偶然出会った事象で決まるのだから、目隠しして紙の上の一点を指差すようなもの。
紙片の中心は一つだけど、端の点は無数にある。
そんな状態で自分が紙面の端ではなく、ど真ん中を指差せているなどと考える方が無理がなかろうか。
だから、どんなに努力しようがどのみち偏るし、今の自分は極端な方向に偏っていると考えておくのが妥当だろう。
偏っているならせめて、自分がどの方向にどれだけ偏っているのかを知るためにも、紙の大きさを知る努力はしておこう。
そんな風に考えています。
そうしておけば、私とは意見が異なる様々な言論に対して反対はするが、(実害がなければ)排斥はしない(はず)。
東京医大の件も、杉田議員の件も、当事者には確固たる理があるのだろうと思う。*1
排斥しないはず、なんて書いていながらも前回の記事でこんなことを書いていたりします。
まぁ、偉そうに書いていても、私は所詮、この程度の人間ですよ 笑