読書の日
今日は連投日です。
さて、やることも一段落して (半ば強引に) 休息日を作ったので久しぶりにスタバでひたすら読書。
このひとときが最近では一番幸せな時間です。
張り詰めた集中じゃなくて、リラックスした状態で、それでも集中している状態がとても心地良い。意識が本から抜けた後も暫く同じ状態が続く、あの感じ。
すごく幸せです。
なぜか家よりも外で読書する方がそういう状態になりやすいんですよね。
たぶん、誰もいない所より人がいっぱい集まった所の方が安心できるんだろうなと推測して、私も人間なんだなと、つくづく思うワケです (基本的に1人でいる時間が一番好きなもので…) 。
こういう時には、小説やらハウツー本やら「できる人になる!」的な内容のビジネス書やらの卑近な (?) 内容の本は読みたくありません。
もっと、人の考えというか「これを伝えたい!」という情熱みたいなものが強く出てる内容の本を読みたいのです。
だから、ちょっと (だいぶ?) 硬めの本を読むんですよ。
今日読んだ本はこれ。
いやー、面白かった。「これが伝えたい!」っていうをまっすぐ書いてくれているからとってもわかりやすかったし。
これだけまっすぐな文章が書けたらいいなぁ。
主張の内容は自分の体感と似てるところもあったのでそこまで抵抗なく、集中して一気に読破できました。
こういう一歩引いた視点で考える内容の本が大好物です。
ややもすれば、毒にも薬にもならない内容ですが (失礼) 、そこが良いのです。
贅沢な時間って感じが出ますから。
それに、こういうまっすぐな文章を書く人がいるってだけでなんだか嬉しくなってきますしね。
これを読んで改めて感じたことは、「やっぱり『終わりがある』ことを肌感覚で実感できるかどうかが大人と子供を分ける境界なんだろうなぁ」ってこと。
『終わり』を引き受けるというか、受け入れるというか、うーん、端的な言葉が見つからない。
ものごとを最後から逆算する。
これをしている人としていない人では所作が全く異なると思う。
だから、大人には目の前の人間が (精神的な意味で) 大人か子供かがすぐにわかるんじゃないかな。
私が出来ているとは到底思えないけれども、徐々にその感覚がわかりつつある気はしている (気がしているだけかもしれないけど) 。
あー、こういう (ある意味) しょーもないことを考える時間ってやっぱりいいなぁ。