久々夜に書いてみた
更新です。
今回の話題はこれ↓
「アイデンティティと文化と持続性」
はい。
元ネタはこちら↓
headlines.yahoo.co.jp
今日の夜、上の2つのニュースを動画サイトで観ました。
コンビニおでんは手間がかかる。
手間がかかる作業は今のコンビニ運営では「人材不足」と「食品ロス」の方面から持続可能な商売として成立しない。
もう何年もしない間に、通常のコンビニ営業をこなしつつ、レジ横のおでん鍋を適切に管理できる人などいなくなるだろう。
いっぽうで、沖縄の首里城焼失。
この不運な事故は、これまでこの土地に起きた同様の不運に対する伝統的な振る舞いを思い出すきっかけとなり、伝統的な産業の後継者への技術伝承の機会となる。
なんの脈絡もないのですが、私はなんとなく関連性があるように思いました。
今となっては多くの職人を養えるほどの需要もないであろう赤瓦だが、このような出来事があれば誰かが声を上げ、周囲が思い出したかのように注目する。
赤瓦は沖縄の方々のアイデンティティの一部なのかもしれない。
私たちの今の当たり前はどの程度私たちのアイデンティティになっているのだろうか?
コンビニおでんは日本のアイデンティティなのだろうか?
本当にコンビニおでんがこの国からなくなったとき、誰かが声を上げ、それに周囲が目を向けるのだろうか?
日本で生まれ育つ人が少なくなり、社会を支える世代の人口が少なくなる中、国としても「いま/これからできること」の割に「実際にやれること」は少なくなってくる。
やりたくてもできないことを諦めて、いまの当たり前が当たり前でなくなったとき、「それでもこれは譲れない」とこの国の人が思うことはなんだろうか。
私たちの当たり前となった社会の仕組みはけっこう脆いのかもしれない。