ぼんやりしながら書いてみた
更新です。
今回の話題はこれ↓
「あら、これって大問題になってるのね。。」
はい。
あれま。
どうやら、私はだいぶ世間の流れから取り残されているみたいですね。
去年の「モリ・カケ問題」と「日報問題」をのらりくらりと躱しきったと思ったら、ここにきて喉元に刃を突きつけられてるような絶体絶命状態じゃないの。
私が情報収集を怠っているうちにえらく早く展開しましたね。
ま、現政権の退陣を切に願う身としてはまんざらでもない展開ですけど。(かと言って、素直に喜ぶような話でもないですが。)
こうやって、世間の流れから取り残された状態で、この問題に関連する記事や記事に対するコメントを読むと、普段は思わないような素朴な疑問が浮かんできました。
今回もそうですけど、この手の不祥事が起きると、どこからともなく「この問題を収めるためには、〇〇の辞任が必要」みたいな話が出てきますけど、これって誰がどんな基準で決めてるんでしょうね?(いや、別に安倍さんや麻生さんを庇っているわけじゃないですよ?)
考えてみると、よくわからんと思いません?
突き詰めると結局は「なんとなく、そんな感じ」みたいな話なのかな?(私なんかは完全にそうやって言ってますけどね 笑)
一歩引いて考えると、何じゃそりゃ?って感じもしますけど、人間どんなに理性的に振る舞っても、結局はそういう感情やら感覚で大事なことを決めてる(人に強いてる)ってことなんでしょうかね?
どことなく、祝祭的、というか、生贄の儀式みたいなものにも通じるような気がしますよね。
そうやって考えると、ネット炎上を「祭り」と呼ぶのもなんとなくわかるような気もしますし、上のような辞任騒ぎと似てるような気もします。
ん?
もしかして、呑気なこと書いてる?