ある日の一考
先週のお話。
夜飯の弁当を買いに弁当屋さんまで行き、注文した弁当を待っているとき、店に小さい子を連れた母親がやってきた (私の母ではない) 。親子が弁当を待っている間に、「これ、かってもいい?」とレジの近くにあるジュースを手にとって母親に尋ねる子。
そんな光景をぼんやりと眺めていると、私と一緒に弁当を買いに来た後輩が
「自分に子どもができて、あんな風におねだりされたら絶対買っちゃいます」
と言った。
私ならどうなのだろうか?
いまいち、自分の子どもがそばにいるところも、自分の子どもをかわいがる自分も想像できない。
ただ、まぁ、知り合いがぽつぽつ結婚し始めているから全く遠い話でもないのだろう (現状では遙かに先な気もするが) 。
後輩はその後、未だ見ぬ自分の子どもをどう育てるのか、楽しそうにその計画を話し始めた。
要は、とても可愛がるらしい。
うーん、自分だったらどうするかなぁ。
放任主義的に育てて、早く一人立ちさせてあげたいかなぁ。
「お前は中学出たらこの家から出なきゃいけないんだ」
って、小さいうちから刷り込ませたいな (笑)
そんなことを話したら、後輩に
「それじゃあ、絶対グレちゃいますよ 笑」
なんて笑われて話が終わった。
でも、私自身、かなり長いこと実家にお世話になってたので (いや、実際、かなり助かりましたけど) 、「もっと早いうちから自分の裁量を広げていたらどうなったんだろう?」ってときどき思うのですよ。
小さい子達の住む世界って、今にしてみればものすごく小さいじゃないですか。
小中学生の頃は学校が全てでしたからね (みなさんもそうかな?) 。
あの世界で居心地良く過ごせる人は不自由を感じることなく通り過ぎたかもしれませんが、私にとっては少し息苦しい世界でした (特に、「いじめに遭った」とかではないのですが) 。
もし、自分の子供が自分と同じような息苦しさを感じるならば、早いうちに世界を広げてあげたいですね。
あと、ものごとは不可逆で有限なんだ、ってことを早いうちに実感させてあげたい。
周り (特に商業的な謳い文句など) は、「いつだってやり直しがきく」と言うし、現に、やり直しが効きやすいモノは多くなってきている。でも、勘違いしちゃいけない。
本当の意味でリセットはできないんだ。
この実感を持ちにくくなっている世の中だからこそ、しっかりと伝えたい。
この実感があれば、人は前を向いて楽しく歩んでいくのではないか。