整理もせずただ書いてみた
更新です。
今回の話題はこれ↓
「たまにあるから」
はい。
ブログ再開宣言をしてから、2本だけ記事をアップしてまた小休止してしまいました。
まだドタバタが収まっておらず、私の体力的に記事を書く余力がないもので。。笑
そんな中、この前、学生時代の後輩と久しぶりに会って飲みました。
今日はそのときの話を起点に書いてみましょうか。
私自身、一人の時間をこよなく愛する人間なので、交友関係はそこまで広くない(というか、めちゃくちゃ狭い)のですが、その代わり気が合う人とはがっつりと信頼関係を築くタイプです。(私の勘違いでなければ 笑)
今回飲んだ後輩は、そんな狭い交友関係の中にいる人で、可愛い後輩なのですが、会うといつも尊敬と憧れを抱く友人でもあります。
飲み屋に入り、お互いの近況について話し、楽しくお酒を飲んだのでした。
しばらく話をしていると、その後輩から、驚きの報告があり、今後について考えている(悩んでる?)ことを冗談交じりにそれとなく話してくれました。
その話の内容は、記事にしませんけど(後輩の身の上話をこんな糞ブログのネタにはできません)、話を聞いているだけで、その後輩に転機が来ていることは明らかでした。
だいぶお酒も入っていたので、その場では適当な返ししかできなかったのですが、後日、後輩からのお礼のメッセージに返信する形で、その後輩に「お節介だけど・・・」と前置きしつつ「いまが君の人生の節目だよ。そのつもりで考えな。」と暗に伝えました。
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みなさんがどうなのかはわかりませんが、私の場合、どうも「人生の節目」を自分で設定して(直感して?)、意識的に生活を変えることが多いようです。
「今が節目だ!」と感じたら、受験や就職や結婚などの大きなイベントに限らず、自分の考えに従って大きく動きます。
そういう場合、傍から見たら到底「合理的」と呼べるような行動ではありません。
そういうときは、自分でも「ワケわからんところで賭けに出るな」と思いつつも、ついつい行動してしまうのです。
ホント、厄介な性分です。笑
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私は最近、自分にある程度近しい人には、自分の思ったこと・感じたことを素直に伝えるようにしています。
真面目過ぎたり、熱っぽくなったりして普通は気恥ずかしくて言えないようなことでも、とりあえず相手に投げることにしています。
ただ、こちらがどんなに情を込めて、良かれと思って言葉をかけても、それで相手が変わることはほとんどありません。
そのときは「そうだよね!ありがとう!」などと共感や感謝の言葉はもらっても、その後も何も変わっていない、というのが大半です。
あるいは「何言っちゃってんの?笑」的な冷笑を誘っている場合もあるでしょう。
でも、ごく稀に本当に響く場合があるんですよね。
良い方に転ぶ場合もありますし、悪い場合もあるのですが(申し訳ないことではあるのですが・・・)、確かに私の言葉が相手に影響して、その後の展開が変わることがあるんです。
あるいは、そのときは何も響かなかったように見えても、後になって「実は、あのときあんな風に言ってくれたから・・・」って打ち明けてくれるときもある。
なんか、こういうことがあるから、お節介なこと言っちゃうんだよね。笑
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こういう「たまにあるからやめられない」ってのは、人間が何かにハマる時の必須要素じゃないかな、って思います。
仕事だって、熱心な人は、「普段はつまらない結果しか出せないけど、たまに人から褒められる成果が出せる」ってところに取り憑かれるだろうし、
スポーツだって「いつも順当な結果になるけど、たまに大逆転が起きる」ってところに魅力があるし、
ギャンブルだって「全然勝てないけど、たまにでっかいのが当たる(or そういう人がいる)」ってところに夢を託すわけじゃないですか。
極論言えば、「普段は嫌なことやつまらないことばっかりだけど、たまに大笑いしたり、良いことが起きる」から生きていけるんじゃないですか?
ギャンブル依存症の人も、私も(、たぶん貴方も)、そういう意味ではみんな「射幸心」に取り憑かれているように思います。
まぁ、こういうのを普通は「夢」とか「希望」と言うんでしょうけどね。笑
「射幸心」と「夢・希望」ってのは案外近い言葉だと思うのです。
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追記:この手の記事って、書き方間違えるとスピリチュアル系の怪しい商売の導入っぽくなるね。(書いてから気付いた 笑)
私が、お悩み相談の連絡先とかその手の専用サイトを開設してURLとか載せだしたらそっと立ち去るか、はてなに通報して下さい 笑