いいかげん日記

思いついたことをただひたすら書き殴るいいかげんな日記です。

話はズレたが書いてみた

更新です。

 

今回の話題はこれ↓

「教育について書こうと思ったけど話がズレた」

 

はい。

まずは元ネタ。

headlines.yahoo.co.jp

うん。

 

なんでしょうね。

 

「格差」という言葉を使って、いま教育の世界で起きている事象をネガティブに語ることもできますが、最近はもう少し冷めた感覚で考えてみたいんです。

 

昔、西洋でもアジアでもどこでも、いわゆる「文明」が発達した地域では、たいていは階級社会になっていたと理解しています。

 

それを前提に考えると、「人間は放っておくと格差社会を作るのかもしれない」と思うわけです。

 

でも、自然の摂理に従えば、閉鎖系の中ではエントロピーが増大する方向に向かうので、放っておくとぐっちゃぐちゃの乱雑な社会になりそうなものなんです。

 

だから、「格差」のように、放っておくと人間社会で構成員がタイプ別にどんどん純化していくプロセスってのは、理解し難い。

 

こんな風に自然に秩序立っていくってことは、少なくとも系の外側からエネルギーの出入があるような開放系になってるってことだと思うんです。

 

 

じゃあ、ここで言う「エネルギー」って何なんだろう?

 

 

おカネ?情報?人?

 

それらの絶対量?それとも微分値?

 

 

上のような記事もそうですけど、こういう社会の大きな流れを語る時に、やや個人個人の意思や思考にフォーカスしすぎているように思うんです。

 

 

例えると、「なぜ落ち葉が側溝に溜まるのか?」を考える時に、一枚一枚の落ち葉と風向きに注目しているような感じ。

 

それぞれは勝手な方向に気まぐれに動くから、その動きについて落ち葉の気持ちになって考えてもあまり意味はないじゃないですか。

 

側溝は落ち葉にとって「一度入ったら抜け出しにくい構造」だから溜まるんですよね。(当たり前ですが)

 

この「一度入ったら抜け出しにくい構造」ってのは、溝だけじゃなくて、水溜りだってその観点で言えば同じ構造をしているんです。(道を歩いている最中にそんなこと考えてるってのもなかなかぶっ飛んでるとは我ながら思うんですが 苦笑)

 

 

いまの社会問題についても、やっぱりそういう観点で考えた方が良いと思うんですよ。(いや、偉い人が考えているんでしょうけどね。)

 

熱力学あたりを切り口に、感情抜きで考えると、もしかしたら問題の核が見えてくるんじゃないかな?と、私は密かに思っています。

 

 

社会物理学っていうのかな?こういうの。