本の林:「スカイ・クロラ」 森 博嗣、中公文庫
【連想する本】
■「自由論」 J.S.ミル、岩波文庫
森 博嗣さんの小説「スカイ・クロラ」シリーズの第一作目。
この本は、かつて長いこと私の「お気に入り本ランキング」首位を独走していました。
もう、4回か5回は読み返しましたね。
この作品以外にこんなに何度も読み返した小説はないと思います。
お話の設定は、戦争がショーとして商業化された世界で、戦争請負業者の戦闘機パイロットとして働く「大人にならない子どもたち」のお話という、ぶっ飛んだ世界観で、話の全容を掴むのも極めて難しいです(私には理解できませんでした)。
そんな作品なのに、すごく惹かれる。
戦争しているのに、文体はとても落ち着いていて、淡々と静かに書かれているので、それがまた不思議な雰囲気を醸し出しています。
このシリーズの作品は全て読みましたけど、引っ越しを機に他の作品は全て手放しまして、今も手元に残っているのは「スカイ・クロラ」のみ。
もっというと、 森 博嗣さんが書いた他の小説は「すべてがFになる」しか読んでいません 笑
私はたいてい、ひとつの小説にハマると、同じ人の作品を立て続けに読むものなのですが、「スカイ・クロラ」シリーズを全作読んだあとに、「すべてがFになる」を読んで、
(あ、この人の作品は「スカイ・クロラ」が読めたらそれで十分だ)
と思っちゃったんですよね。
いや、別に「すべてがFになる」がつまらないとか、クオリティが低いとか、そういうのじゃないんです。
最後に「なるほど!」っていうオチがあって十分に楽しめたのです。が、「スカイ・クロラ」を読んだ後だと、どうも深みがない感じがしちゃって。。。(森さん、ごめんなさい。でも、MORILOG ACADEMY は結構な巻数読みましたよ!)
裏を返せば、「スカイ・クロラ」は、それほどまでに「森さんの思想・哲学がぎっしり詰まっている作品」って感じがするんですよねぇ。
読んでいて、「あぁ、森さん、これ書くの相当楽しかったんだろうなぁ」って感じます。(私の予想では、「スカイ・クロラ」シリーズの中でも「スカイ・クロラ」が一番楽しく書けたんじゃないかな?と思うんです。)
ここで、この小説で一番印象的な一節をご紹介。
これは、戦闘が終わって帰還した後、主人公が同僚と一緒にボウリングをするシーン。
ボールの穴から離れた僕の指は、
今日の午後、
二人の人間の命を消したのと同じ指なのだ。
僕はその指で、
ハンバーガーも食べるし、
コーラの紙コップも掴む。
こういう偶然が許せない人間もきっといるだろう。
でも、
僕には逆に、その理屈は理解できない。
(中略)
意識しなくても、
誰もが、どこかで、他人を殺している。
押しくら饅頭をして、誰が押し出されるのか・・・・・・。その被害者に触れていなくても、みんなで押したことには変わりはないのだ。
私は見なかった。私は触らなかった。
私はただ、自分が押し出されないように踏ん張っただけです。
それで言い訳になるだろうか?
僕は、それは違うと思う。
それだけだ。
とにかく、気にすることじゃない。
自分が踏ん張るのは当然のことだから。
しかたがないことなんだ。
この文を書いたということは、森さんがこのことについて考えた証。
もしかしたら、悩んだことがあったのかもしれない。
私には、この一節の「僕」が、途中から森さん自身にすり替わっているように思えてなりません。
もうひとつご紹介
少なくとも、昨日と今日は違う。
今日と明日も、きっと違うだろう。
いつも通る道でも、違うところを踏んで歩くことができる。
いつも通る道だからって、景色は同じじゃない。
それだけでは、いけないのか?
それだけでは、不満か?
それとも、
それだけのことだから、いけないのか。
それだけのこと。
それだけのことなのに・・・・・・。
これは、大学教員でもあった森さんが学生に宛てたメッセージのようにも思えまして、当時学生だった私には響きました。
今改めてこの一節を読むと、なぜだかJ.S.ミルを連想します。
彼は幼い頃から超英才教育を受けて育ったんですが、20歳そこそこの頃に人生に絶望してしまったそうな。でもそのときに、詩だか音楽だかの力で立ち直ったんだとか。
岩波文庫から出ているJ.S.ミルの「自由論」は、90/288 ページしか読まずに長い休憩に入ってしまいましたが、その話だけはなんとなく憶えています。
森さんの作品の入りがこんな作品だったものですから、森さんが書いた小説が読めなくなっちゃったわけです 笑