新年初更新。
あ、お久しぶりです。
更新します。
今年1発目ですね。
しかも、1発目がノートじゃなくてここで更新。。。
勢い勇んでノートを立ち上げたのに全然書けない。。。
なんか、調べれば調べるほど、書けなくなります。
その最大の理由は、「自分には得た情報が信頼に足るものであるのかどうかの判断すらできないほどに知識がない」こと。かつ / もしくは、「情報に対するリテラシーがない」こと。
もう、愕然とします。
大学に入ってからというもの、一般教養はそこそこにして理系科目ばっかりだったので「1つの問題に対して真逆の答案が出されても、どちらが正しいのか (信頼できるのか) 判断ができない」という状況に陥ったことがあまりなかったのです。理系科目は自然現象という絶対的な解がありますから、それを正確に記述できた答案が「正しい」のです。
正しい解がわからない問題なんて、そりゃ、私生活ならいくらでもあります (とはいえ、人生の経験値はかなり少ないですけどね・・・ 苦笑) 。
でも、こんなに無力さ (そして、無能さ) を感じたことはありませんでした。
政治にしても、経済にしても、論客と言われる方々の様々な主張に対して、どの程度の真面目な姿勢を取ればいいのか、皆目検討もつかない。わからないので、全てを信じるワケにもいかず、全く信じないワケにもいかない。だって、どんな事柄でもみんな「○○を進めてはいけない!」「○○を止めてはいけない!」と主張するのだもの。
とても煽動的な言葉を並べたてる人がいれば、静かにとつとつと体の芯から震え上がるような予測を語る人もいる。でも、いずれにしても完全に乗っかるワケにはいかない。
だから、思いました。
やっぱり、勉強すべきは古典なのです。
そう思う理由は2つ。
第1に、著者が現在の政治的あるいは経済的な文脈から切り離されている。まあ、死んでますからね、著者。現代に生きる無知でか弱い私のような無能人間を煽動しません。とても安心です。
第2に、時間的にも空間的にも多くの人々の目に触れられた上で評価された書物である。だから、そこらの新書やらビジネス書やらより (というより、存命中の著者が書いた著書すべてと比較して) 信頼できる情報が載っている可能性が高い。
だから、初心者ほど古典を読むべきなのではないでしょうか?
・・・ただ、とても難しいことが書いてありますけど。
ってなことで、ノートの記事の更新にはしばらく掛かりそうです。
ただ、少しずつ調べ始めて思ったことは、「知識は力である」ということ。
これ、私は真理だと思います。
ずっと前にこのブログで、「なぜ勉強しなきゃいけないの?」っていう問いに対して自分の回答を述べたことがありました。
今思うと、平和ボケですね。
今だったら「自分、そして周りの人の命を守るために勉強しなきゃいけないんだ」と答えます。
ときには政治的・経済的な権力者に搾取され殺されないようにするために、ときには自分たち自身の愚策で死なないようにするために、やはり知識が必要なのだと思います。
私たちにとって「勉強すること」は、実はそれほどまでに切実な問題と言っても大袈裟ではないように感じる今日この頃であります。
ってなわけで、今年も宜しくお願いします。