信じたいので書いてみた
更新です。
今回の話題はこれ↓
「できれば、お願いしたい」
はい。
まず、前提として、こういう議論が出てくることは、国の中枢のどこかにまだ「立派な人」がいるという証拠なんだと私は信じている。
どこかにいる大きな理念と熱量をもった「立派な人」が、(他の?)政治家を「利益」で誘導しながら議論をここまで進めてきた、と信じている。
単なる思いつきの、人気取りだけの政策ではないと信じている。
その上で記事を書きたい。
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無償化の条件として学習意欲も重視するとのこと、こういう議論もアリだと思う。
大学に入っても遊んでばかりのやつになぜ税金を使わなきゃならんのだ、という意見も理解できるから。
それに条件付きであろうが高等教育の無償化ができるなら、もう現時点で、なかなか粋な政策だと思うから。
それでも、もし今の教育制度が維持できる(限りなく細いであろう)パスを見つけられているのであれば、私は「無条件の大学無償化」をぜひやっていただきたい。
「学業に励むこと」というのは努力義務にとどめてあげてほしい。
そのくらい「寛大な大人の姿」を子どもたちに見せてほしい。
今のご時世にそれができたら私は政策立案者たちや政治家たちを尊敬する。
めちゃくちゃ格好いい。
その姿は絶対に子どもたちに伝わるし、そういう大人に憧れを持ってくれるはず。
そして、そんな大人に憧れをもってくれるような子はたいてい賢い。(学業成績が良いという意味ではない。)
たとえその時は伝わらなくとも、その子たちが大人になって自分の人生を振り返ったとき、自分たちが空気のように当然だと思っていた環境を、あの時の大人たちは歯を食いしばって支えてくれていたってことに必ず気づいてくれるはず。
大学の4年間を散々遊び散らかして学業的にはほぼ何もしなかったに等しいようなどうしようもないやつでも、小言を言いながらも好きにさせてやる。
後でその本人が、「当時の大人たちはこんなどうしようもない自分でも見捨てなかった」と気づいてくれることを信じて。
気づいてくれれば、下の世代にも同じように「当然の環境」を与えてあげようと、考えてくれるはず。
現実にこんなことを感じる人はごく少数かもしれないけれども、この国の先人たちは全国に散らばったそのごく少数を可能な限り「立派な人」として輩出するために高等教育までの道を作ったんだと思う。
だったら、今どこにいるかもわからない「金の卵」たちに向かって、この国の仕組みとしてメッセージを発信してみませんか?
「君らが立派になって出てくることを待っている」って。
いくらか金をドブに捨てることになったって、それだけの価値はあるでしょう?
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ただ、もし今の教育制度の崩壊が見えてしまって、もはや維持することを諦めているのであれば、どうか、金の卵たちをハリボテの単なる泥舟に誘い込んで沈めるようなことはしないで欲しい。
国の中枢に蔓延る汚い大人に嵌められた子どもたち、という構図だけは絶対に作らないで頂きたい。
教育をする側が、教育をされる側に対して、唯一贈ることができて、かつ、唯一教育効果があるのは、「我々は君たちを信頼している」というメッセージだけだと思うから。