いいかげん日記

思いついたことをただひたすら書き殴るいいかげんな日記です。

失意の中でも書いてみた

更新です。

今回の話題はこれ↓
「自分でやる、って実はとても贅沢なのではないか?」

はい。
今月と来月は急かつ毎週のようにある遠出&ふとした油断から大出費となることが確定し、少々凹んでいる私であります。

そんな失意の中、フラフラと本屋さんに行って目に留まったのは「里山資本主義」。

ちょっと前に話題になってたような記憶があります。

本屋さんで何度も見かけてはいましたが
、何となく手に取らなかった本です。

今回は気が向いたのでぱらぱらとしてみたのですが、良さそうな本ですね。

いつもなら躊躇なく買うところなのですが、残念ながら今回はパス。

本に限ってはこういう機会損失をしたくなかったのに、非常に残念です。


で、これで終わっちゃうのも悔しいので、この本の出だしをとっかかりにして考えてみようと思います。(と言っても、手元にないので1文字も引くことはできませんが)

以前にも似たような話題で記事を書いた気がします。(豊かさってなんだろう的なやつ)

その下地があったので、この本(の出だしのどこかの1ページ)を読んだとき、「やっぱり、今って、自分で何かをする機会を奪われる世の中なのかもしれない」って改めて思いました。

これだけ技術が進歩して、一見すると何でもできちゃうように見えるけど、実際にはジリジリと後退してるのではないでしょうか。

私が一番気になるのは自炊です。

自身の生活の根幹にあるはずの自炊すら、させてもらえなくなってきている。

いや、誰だってやろうと思えばできる環境にはあるんですけどね。

誰も強制的に外食させられているわけではない。

でも、自炊をしていない人にとって、調理にかける時間とコストに対するクオリティを考えると、どこかで買ったり外で食べた方が「合理的」と思える環境なんですよね。

こういうことがあらゆる所で常態化してしまっているんです。

「自分でやるより買った方が安くて早い」っていう環境。

だから、私を含めた多くの人が「自分でやる」ということをちょっとずつ自分の生活から切り離していく。

こういう環境の中で、「自分でやる」ってのは、実は相当な贅沢なのではないでしょうか?(多くの人は、「無駄」と呼ぶかも知れませんが)

つまり、自分の責任でもって自分の身の回りのことの多くをこなすのが「贅沢」な世の中になってるように思うのです。


そんなのって、私は悲劇だと思うのです。

だから、私はこういう意味で「贅沢」に生きていきたいと思っています。

今日は一度きり
嗚呼
無駄がなけりゃ意味がない

林檎さんの、この歌詞は深いものだと信じています。