更新です。
今回の話題はこれ↓
「多様性とは?」
はい。
元ネタ!
自由を愛する私の信条として、もちろん、最高裁判断に共感はできない。
教職員こそ、「世にいる大人」の振れ幅いっぱいに多様性があるべきだ、と私は思っています。(法に触れない限り、ですけどね。)
なんだかわからんけどすげぇ先生とか、何かに偏執的に熱中してる先生とか、びっくりするほど平凡ど真ん中な先生とか、めちゃくちゃ腰が低い先生とか、超絶イヤミな先生とか。
一般的に、年長者と接する機会がそう多くないであろう就学期に、そういう多様性を濃縮して経験できることは、絶対に将来の財産になると確信しています。
だから、他のどんな業界よりも容姿・思想信条・態度その他諸々に多様性があったほうがいいと思っています。
こういう判決は、そんな尖った大人を教育の場から放逐する。
教育の場を、ある意味で「浄化」してしまうことは、(極端な言葉を敢えて選べば)虐待に近い。
世の中、言うほどまともじゃないんだろ?
まともじゃなくても、迷惑がられていても、クソの役にも立たなくても、文句ばっかり垂れていても、どうしようもなくても、一人分の場所を占めて、社会のどこかにある席に座れるんだろ?
ちゃうのか?
教育現場でのこういう人事や、それにまつわるこういう判決は、こういう社会の「根本的な信頼」を崩すような「教育効果」を生むんじゃないの?
多様性とか、ダイバーシティとかいいながら、一体これは何だ?