出先で長々書いてみた
更新です。
今回の話題はこれ↓
「お金と時間と自由について」
はい。
今回はカネの話をひとつ。
最近、これまでの奔放な食生活と運動不足が祟って健康面で黄色信号が点りはじめたので、食生活の見直しと運動習慣を身につけるべく行動をし始めた今日この頃。
食生活では、スーパーに行ったときにはなるべく「カットサラダ」的なものを買うようにしつつ、糖質の摂取を抑えるようにご飯の量を抑えることにしました。
2週間ほど、夕食でご飯を食べない生活を続けましたが、案外抵抗もストレスもなく続きました。
その前から薄々勘づいてはいましたが、やはり、私は食に対する興味が薄いようです。
「食えりゃ何でも良い」っていう雑な人なんですね。笑
運動については、通勤用にロードバイクを購入しました。
運動に関しては、私の性格上、食生活ほどすんなりと習慣づけることはまず難しいと思ったので、自宅から職場までの通勤を運動時間として活用しよう、という魂胆です。
幸いにも(?)、朝は通勤ラッシュで道路が大渋滞になるので、車で通勤しても、自転車で通勤しても、通勤時間に対して差はないときた。
これなら、きっと続くはずです。
さて、ここからが本題。
私は(仕事はさておいて、プライベートでは)行き当たりばったりな行動をしがちで、無計画、思いつき、ムダ、非合理、非効率をこよなく愛する人間です。
そのような気ままな行動によって、(普通は発生しないであろう)それなりに大きな出費を伴うこともあります。
今回のロードバイクの購入は、それなりに共感してもらえるストーリーだとは思いますが、それなりに高価な買い物を、前日の夜寝る前に思い立ち、何の下調べもせずに「うーん。なんでも良いんだけど・・・、じゃあ、これで。」と決めてしまう人はあまりいない気がします。
私は、プライベートでは、極力、気の向くままに行動したいですし、未来の時間の使い方を確定したくない。(こりゃ結婚できねぇな。笑)
タクシーに乗ったら、支払額が請求額以上であればいいのであって、なにも請求額ぴったりに支払わなきゃいけないわけじゃない。(私は、請求額+100円を払って、その+100円で運転手さんをどこまで感動させられるか、その演出方法を探求して遊んでいます。笑)
そういうものをひっくるめて、やはり現在の経済社会の中で自由に行動するためには手持ちのお金がそれなりに必要です。
だから、「やりたい!」と思ったときに躊躇せずに動けるように、普段の生活コストは極力抑えてひたすらに貯金をしてきました。
投資に関しても、やはり、根底には同じ動機が流れているように思います。
投資は原資を積み上げれば、それに比例してインカムも大きくなりますし、インカムを再投資に回せば、原資が複利で殖えていきます。
そうすれば、程度はどうであれ「歳を重ねる毎に生活が楽になる」状態を作ることができるんです。
生活が楽になる、ってことは、「生活資金を稼ぐために使わざるを得ない時間」を圧縮できるということ。(理想は、インカム収入 > 生活費の状態を作ることですが。)
時間とお金に対して裁量が増えることは、人生における「余白」が大きくなるということ。
その余白を可能な限り大きくして、来たるべき「やりたい!」に対してそれらを盛大に投入したい。
そしてやりたくなくなったときに、「もったいない」や「損した」といった感情に囚われることなく、次の「やりたい!」に進める精神的な自由を維持したい。
「常識的」とか「合理的」などという言葉に誑かされて自分の人生を予測可能なものにしたくない。
このような自由を感じるためにこそ、私は貯金をし、投資をし、摂生をしながら、無計画、思いつき、ムダ、非合理、非効率を大いに行使するのです。