いいかげん日記

思いついたことをただひたすら書き殴るいいかげんな日記です。

本の林:「不安な個人、立ちすくむ国家」 経産省 若手プロジェクト、文藝春秋

本の林:はじめに

 

【連想する本】

バカの壁養老孟司新潮新書

 

この本は、経済産業省の有志30名で立ち上げた若手プロジェクトのレポートと、それをネタに対談した様子を収録したもの。

 

本屋でたまたま見かけて買ってみました。

 

レポート自体は去年ダウンロードしていたのですが、申し訳ないことに、ぱらぱら見てすぐ消去してしまったんですよね。

 

改めてレポートの図表を眺めてみて、「そんな切り方があるのかぁ」という発見もあり(けっしてオモシロイ内容ではないが)興味深いなぁ、と思いました。

 

「真剣に考えてます」っていう気持ちは伝わってきました。

そういう意味で、「官僚組織の中に『立派な人』はいるんだ!」という考えに、これまでより自信が持てるようになりました。

 

 

けど、どうにも問題提起が紋切り型というか、借り物っぽいというか、切実さに欠けるというか、リアリティがないというか、「良い人」の意見というか。

 

 

「マジメか!」ってツッコミたくなるような(いや、彼らがマジメな人たちであることは間違いないんだけど)、とにかくそんな印象を受けました。*1

 

…自分ではできもしないのに、好き勝手書いてすみません。笑

 

 

あと、「想定していたモデルが都市に住むサラリーマンだったが、これでは日本全体の2割(3割だっけ?)ほどの人たちしか想定できていなかった。地方の人たちのことをもっと考えるべきだった。」みたいな反省の弁がこの本の中に書いてありましたが、メンバーの中に地方出身者はいなかったのかな?

 

都会育ちの人が地方のことを勉強するよりも、地方出身で地方大学を出てそこまで啓蒙的でない人をある程度メンバーに入れた方が早いと思うんだけどな。(こういう「視点の違い」なんて、どうせ完全には理解しあえないんだから。)(追記 : これでもまだ「大卒フィルタ」がかかってますね。)

 

本人が勉強するのは、本人の視野を広げるという意味では有意義かもしれませんが、多分それって全体から見たら効率的ではないですし、「適切な対策を一刻も早く導き出す」のであれば、使えるものは使った方がいいと思うんですよ。時間がないならなおさら。

 

 

ま、経産省にそんな人がいるのかは良くわかりませんけどね。フィルターの目が細かすぎてそんな人は入れない可能性が高いですし。(実は、そこが根本的な問題だったりするんじゃないかなぁ、とも思う。)

 

「多様性」を叫ぶ組織の中に、いったいどの程度の多様性があるのだろうか。

 

 あ、でも「これから、子どもを支える大人の人数が増える」っていう考え方はとても素敵でした!

 

 

さて、ここからが本題。

 

養老孟司さんとプロジェクトメンバーの対談。

 

養老孟司さんと言えば、「バカの壁」ですね。

私も買いましたが、当時は養老さんの文体が気に食わず、1/3〜1/2くらい読んだところで断念したことを思い出しました。(なんとなく、高圧的で圧迫感があったんですよね。)

 

「現行の制度が、今の日本の置かれた状況と合わなくなってきている。昔ははっきりした『人生モデル』があり、それを前提として社会制度を設計できたが、今はモデルがない状態だ。」という問題意識から、「日本人はもっと主体的に自分の人生を設計すべきではないか?」のような話が展開します。

 

そこからちょっと引用します。

経産省 日本人にも「選択する」ということを、もっと教えた方がいいと思われますか?

養老 良い悪いではなくて、僕は無理だと思いますね。何というか、根本的に合い入れないような気がします。僕自身もそうで、自分の人生を自分で選んできたという自覚はないですからね。少なくとも「選択する主体」というものに対して、僕はそんなに確信を持ってはいません。

 

養老さんはこの発言の前に、「そもそも、私たちだってそこまではっきりしたモデルはなかったと思う」とも発言しています。

 

あー、そっか。

そういえば、私も数年前は養老さんと同じような考え方してたな。

この数年で、価値観がだいぶ変わったなぁ。(ほぼ反転してる気がする。笑)

 

なんて、思いました。

でも、振り返ると昔から「選択する自分」ってのが、実は私にとって一番しっくりきていたように思うんですよね。

そういう意味で、今のほうが自分に素直になってる気はしますね。(言行一致といいますか。)

 

 

次に東浩紀さんとの対談。

 

共同体のサステナビリティについての話題で出てきた発言から。

 

政治の世界で強い政治勢力は、世代を超えた支持を集めている勢力であり、個人個人の信念に基づく投票で得られた支持は脆弱である。という話から展開しています。

 

 変なこと言っているように聞こえるかもしれませんが、考えてください。そもそも政治とはなにか。それは自分の利益を優先することではありません。投票するというのは、「俺はこいつが好きだから」するものではない。「こいつは気にくわないけれど、こいつに投票せざるをえない」、そういう感覚があってはじめてまともな投票になる。

(中略)

投票行動が個人の趣味に基づいたら、だれもが自分の利益のことしか考えなくなってしまうし、それこそ政治行動に継続性がなくなってしまう。政治選択には「自分以外のこと」を「自分のこと」として思う・考える、というプロセスがなければならない。

 

「いや、政治は利害調整の場なんだから、自分の利益を優先するでしょ。」と思ってしまいました。笑

ただ、今はあまりに直接的な利益を優先しているような気はします。

 

「今、この人たちに良くしてあげると、のちのち自分に返ってくる」という投票も、もう少しあって良いような気はしますけどね。

 

たぶん、投票している多くの人たちに「そんな時間はない」のでしょう。(ブラックジョークになってしまいますが。)

 

それはそれである程度仕方がないところはありますよね。

 

なんだか、中間層の崩壊とか、個人の孤立化とか、フェイクニュースとかいう話でないところにも、近視眼的な投票行動の大きな原因があるように思ってしまいました。

 

不安な個人、立ちすくむ国家

不安な個人、立ちすくむ国家

*1:ちょっとだけ、「ポーズ」のような感じもしたんですよね。私も人が悪いので「出世のためか?」的な穿った見方もなくはない 苦笑 そこは心配と言えば心配なところだけど、それが全くないというのも考えにくいし、この本で書いてあるモチベーションだって全くの嘘ってこともないだろうから、まぁいいか。