いいかげん日記

思いついたことをただひたすら書き殴るいいかげんな日記です。

浮かんだことを書いてみた

更新です。

 

今回の話題はこれ↓

「産業の衰退」

 

はい。

昨日、某N新聞のとある記事を読んでたら浮かんできた情景をひとつ。

 

世界経済は「金融資本主義」とも呼べる新たな段階に突入した、というのはだいぶ前から経済関連の記事になっているようですが、それがどれほど危なっかしいものなのかは正直ピンと来ていませんでした。

 

まぁ、今だってそこまではっきりと危機感があるわけじゃないのですが、今日の記事を読んで少し危機感のレベルが上った気がします。

 

ここから先、私の勝手な想像です。(どの記事もそうですが。)

 

「金融資本主義」が依って立つ基盤は何か、と言ったら「人がモノを作り出す力」なんですよね。

 

でも、金融資本主義のプレーヤー(機関・個人投資家)自身は「人がモノを作り出す力」そのものを直接利用して何かを作るわけではなくて、何かが作られた後に、そこから得られる「あがり」やその「見込み」をやり取りする。

 

なぜそんなことができるかというと、プレーヤーたちは「人がモノを作り出す力」を集約・組織・維持するために必要不可欠な「金融資本」を提供するから。

 

一人ひとりがもつ「人がモノを作り出す力」というのは、大した力ではない。

だから、みんなにとって大きな便益や利益につながるようなモノを作りだすためには、「人がモノを作り出す力」をかき集めて組織しないといけない。

 

世界中に散らばった「人がモノを作り出す力」をかき集めて組織し、それを維持するためには、それらの接着剤として「金融資本」が必要で、金融資本主義のプレーヤーたちはその「金融資本」を市場を通じて常時提供する。

 

その代わりに、プレーヤーたちは自分たちが投じた「金融資本」で作られたモノやサービスから得られた余剰の「金融資本」を回収する。

 

このときの、モノを作り出す主な組織・主体が「企業」で、その主体の構成要素である「人がモノを作り出す力」の担い手が「労働者」で、「金融資本」の提供者が「資本家」。

 

たぶん、こんな感じなんでしょ?

 

で、このしくみの問題は、「実際にモノを作る主体」よりも、「金融資本の提供者」のほうが、より効率的に金融資本を得られる、ということだと認識しています。

 

この構図で考えると、産業革命の頃のお話を思い出します。(ちょっと語弊があるかもしれませんが。。)

要は、アフリカから金を採掘してヨーロッパまで船で運ぶよりも、金を運んでいる他人の船をヨーロッパで襲う方が遥かに効率が良いわけです。

 

たしか、当時、海賊を雇って金を横取りして繁栄したのがイギリスでしたよね?

 

もちろん、投資すること自体は海賊行為とは違って、違法性は全くないので、たとえが悪いかもしれません。

ただ、言いたいことは、「自分でゼロから作るよりも、既に出来ている(あるいは完成間際)のモノを利用した方が圧倒的に効率が良い」ということです。

 

でも、そしたら、モノをゼロから作るなんて馬鹿らしくてやってられなくなりますよね。

だから、みんなが「資本家」になって、モノを直接作る人がいなくなる気がするんです。

そうすると、当然ですけど、モノを作る主体の「モノを作る力」が細ってきて、投資した先から収益が見込めなくなって、結局共倒れになる。*1

 

 

そこまでは良い。(いや、良くないけど)

 

問題は、その後。

 

じゃあ、共倒れる前に戻れますか?問題。

 

無理ですよね。

今の「モノを作り出す力」の集合体が生み出すアウトプットは、いま、この瞬間の組織の構造や情報の巡り方だから可能なのであって、一度、跡形もなく分解されきったあとに、同じ要素(人、施設、機械などなど)を同じ場所に集めても全く機能しないはず。

 

人の構成要素を集めてかき混ぜただけでは人にならないのと同じ。(「鋼の錬金術師」ですね。)

 

技術と言ったって、目に見える実体として存在しているものではなくて、品質の不揃いな構成要素の組み合わせや、少数の要素を組み合わせた小ユニット間のインプット-アウトプットの関係や、そのパスを流れる情報の巡りの良さなんかの結果として生産されるモノの出来栄えなんですから。

 

で、さらにそういう主体(企業)が一つの少ユニットになって、サプライチェーンが構成されるわけだから、総倒れになったら復元は不可能です。もう無理です。

 

結局、企業やその他の組織だって、それらが構成するサプライチェーンだって、その存在そのものが「時間の結晶」ってことですよね。何百何千何万の人たちの延べ時間が凝縮された姿が今機能している「組織」ということなんだと思います。*2

 

今の金融資本主義に突っ走ると、もしかしたらそういう膨大な「無数の人が提供した膨大な時間の結晶」を壊してすべてをリセットしてしまう可能性がある。

産業の空洞化って、言うのがその現象を指す言葉なんじゃないかな?

 

 

そう考えると、こりゃ世界戦争なみにやばい方向に進んでいるのかもしれない。

 

そんなことを思いながら、ケチな投資を続けている私でした。

 

 

追伸:私が投資をやり始めたから目につくようになっただけなのかもしれませんが、最近、ネット記事とかで投資やらマネーのお話が増えた気がする。私がやりだしたということは、大勢の人がやりだしているということだから、そろそろ危ないのかもしれない、と思ってみたり。

*1:バブルはそれが短期間で小規模に起きる現象と捉えられるかも。「モノを作る力」は変わらないくらい短期間で起きる同じような現象、という感じ。

*2:AIは、もしかしたらこういう複雑で曖昧な「時間の結晶」の一部を固定化できるのかもしれませんね。