見えてきたので書いてみた
更新です。
今回の話題はこれ↓
「少し見えてきた気がする」
はい。
少しずつ将来のための種まきをし始めている今日このごろ。
Pythonを使ってネットで少しばかりの情報収集ができるようになってきたので、「お、これは少しばかり私の別の人生が見えてきたかも?」と色々と調べておりました。
そして、微かに見えてきたことがあります。
一つは、情報の有無が勝負の大半を決める。ということ。
これはもう疑いようもないですね。
極端な話、特別なスキルを何も持っていなくとも、同じものを安く買える場所と高く売れる場所を知っていれば、それだけでもう生きていけるわけです。
そして、もう一つ。
それは、たとえばネットでそれなりの収入を得ることも、安易な道を選ぶと、結局は収入の源泉を誰かに握られる可能性がある。
という残酷な事実。
ひとつ目の裏返しです。
最初に書いたとおり、今の時代、情報があれば生きていくことはできそうです。
では、仮にそうやって情報の非対称性を使って生きていこうとしたときに死活問題になるのが、「その情報の源泉はどこか?」ということ。
googleとかamazonとか、そういうところはやっぱり上手いというか、エグいというか、とにかく先んじているんですね。
便利なツールやサービスを(有償でも無償でも)公開して、より多くのユーザーをそこにぶら下げることで自らが情報の源泉になるわけだ。
ユーザー側は、それが従来よりも圧倒的に便利で安価なツールであれば、使わない手はない。
逆に使わないと同業に美味しいところをすべて刈り取られてしまう。
ってなわけで、そのサービスにぶら下がるわけですが、そうするとgoogleとかamazonはくっついてきたユーザーの束から自由にマネタイズできる環境が作れる。
そして、ユーザー側の視点から考えると、そのサービスにぶら下がった状態を前提にして収入源を構築するのはかなり危険。
だって、サービスやツールの提供者によって、利用規約を一行(いや、下手したら一文字)変えられただけで、生活基盤を丸ごと喪失する可能性があるんですから。
そうなったときに初めて、自分が自身の生殺与奪の権利を提供者にゆだねていた、という事実を突きつけられる。(その前に気づくと思いますが。)
これ、何かに似てるかって、法律に似てますよね。
法律も、それが一度施行されたら、それを前提として生活基盤を構築する人たちが何千人、何万人と生まれるわけです。
法律は形式上は、国民が操縦桿を握っている国会の場で作られるので、一応はまともなシステムに分類できるのでしょうが、一企業のサービス規約はそうではない。
そうではないのに、利用規約はある意味、法律のように機能します。
おそらく、これまでにも利用規約の変更で、何の悪気もなく、そして意識すらせずに、何千人何万人では利かないくらい大勢の人たちが生活基盤を失ってるんじゃないかな。(そしてその変更自体は、普通に考えて何の罪もない。そして、ある意味とても些細な話でもある。)
一時的に利用するならここまで深刻な話にはなりませんが、このサービス規約の上に生活基盤を構築してしまうと、その状態は非常に危険ですね。
でも、そういうツールやサービスを使わないで基盤を築くとなると、そのハードルとてつもなく高くなる。
そうやって考えると、googleやamazonなんかの更に上流側にいるのが安全になってくる。
となると、やっぱり資本家になれ、ということか。
結局、「金が欲しけりゃ金持ちになれ」というお馴染みの矛盾に辿り着く。
・・・なるほど、この世はやっぱりシビアですな。
ま、現実的に考えると「一つのサービスに依存しない」ということなんでしょうね。
またひとつ勉強しました。
追記:この記事を書くきっかけはこれ↓
twitterという「国(村?)」の中でいたずらをしたユーザーが、国外追放を食らったという話。
特に、アカウント停止を食らったユーザーが、twitter社に「謝罪」した後、同社のお許しをもらってアカウントを復活させてもらったというところ。
この話をきっかけに最近感じたことを連想しました。
ユーザーが謝ってでもアカウントの復活を望む背景に、生命・財産・社会的地位の保全や向上も(おそらく)絡んでいない。
でも、一部ではあれど、web上での目や耳や口に通じる神経回路を切るようなものだから、人によってはやっぱりそれなりに強力な力になり得ますよね。
うーん、これって、新しい「権力」の作り方ですよね?