なるほど気づいて書いてみた
更新です。
今回の話題はこれ↓
「最近、社会に出てからの勉強の取り組み方がようやくわかってきたような気がする」
はい。
プログラミングの話が続いて恐縮ですが、最近、pythonなる言語をいじくっています。
で、そのpythonでやりたいことがあって、それを実現するためにネットで色々と情報を探し回って、都度、必要っぽいモジュールをインストールして先に進めていってるんですけど、そこでふと「あ、自分の勉強の仕方もこんな感じでいいのかも」と思ったんですよ。
なんかね、恥ずかしながら、20代の終わりかけになってようやく学生と社会人の勉強の仕方の違いみたいなものに気づいたのかもしれない。
要は、プログラミングで言うところの「モジュール」を漏れなく正確にインストールできているかをチェックされるのが学生、出来上がったコードが機能しているかをチェックされるのが社会人ってことなんだね。
こうやって書いてしまうと(言葉は違えど)何度も聞いたことがある当たり前のことなんだけど、やっと腹に落ちたような気がする。
私のような優等生タイプ(実際に優等生かどうかは別として)は、長い学校教育の過程で、より多くの「モジュール」を正確にインストールすることが「善」だと学習してしまい、その環境に過剰適応するのだけれども、社会に出ると評価軸がまるで変わってしまうことに呆然としてしまうんですよね。
それで、「私がデキない原因は、持っているモジュールが人より少ないからだ。もっとインストールしなければ!」と、さらに多くのモジュールをインストールしようとする。
で、パンクする。
でもさ、プログラミングだったら、使わないモジュールは普通インストールしないし、たとえインストール済みでも、必要なければimportしない。
importしたモジュールの中でも、使い勝手の良い関数はよく使うけど、そうでもない関数は使わない。
結果として、書いたコードが機能していればとりあえずはOKなのです。
だから、特別な理由がなければ、より多くの人が使ってバグも修正されきったやり方を学んで、それを踏襲するのが自分にとっても周りの人にとっても最もハッピーな方法なんですよね。*1
仕事のステップアップのためと称して、資格オタクのごとく(ただのオタクならいいのですが)多種多様な資格を取るために血道を上げるのも、やっぱり使いもしないモジュールをインストールしまくっているのと同じことになるんだろうなぁ。
こんなこと、多くの人は小さい頃から身に付いていることなんだろうけど、変な方向に過学習しちゃうとその感覚が身につかないんですよね。
なるほどね。