いいかげん日記

思いついたことをただひたすら書き殴るいいかげんな日記です。

古い記事読み書いてみた

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更新です。

今回の話題はこれ↓
「大学に行く意味」

はい。
元ネタ記事はこれ↓
<国の金で凡庸な覇気のない大学生を量産するな>下村文部科学大臣の思い付き「大学無償化」に反対する | メディアゴン(MediaGong)

改めて確認すると、これまた古い記事だなぁ。
まぁ、いいか。

えっと、ま、大学に行くか行かないかは個人の自由でいいと思うけどね。
多くの人の人生の選択の幅が広がるという意味では、喜ばしいことですし、私は他人がとやかく言うことでもないと思います。

問題は「若い時の選択がその人の一生を左右する」ような社会構造だと思いますけどね。
つまり、多くの人の目から見て「失敗できない社会」になってしまっていることが非常にまずいと思うのです。

たとえばある人が大学に入ったとして、その人が大学生活を送る中で「高校生の時は大学に行きたいと思ったけど、いざ入ってみたら私の進路はここじゃなかった。」と思ったときに、なんの抵抗もなく大学を中退して別の進路に移れるような社会の仕組みになっていない。

だから、経験が浅い若者が、間違った進路を選んでしまった場合、多くの人が「我慢して時間が過ぎる(卒業する)のを待つ」という選択をとる。これが一番まずくないですか?

だって、この選択肢は、時間の空費です。
中退は、自分の選択ミスを認めて次に進める意思があります。つまり、自分の時間を有意義に使おうとする意思があるので生産的です。でも、「時間が過ぎるのを待つ」ような行為は何の生産性もありません。本人にも、周りの人にも、最悪の行為です。

だから、元ネタ記事の方の意見は一理ありますし、その記事の問題意識は私も持っています。
でも、大学無償化は、(若い同志の将来に期待と希望を託している人生の先輩であれば)歓迎するべき施策だと思いますので、大学無償化を否定するのはどうかな?と個人的には思います。
まず、今の大人が「最近の若者」に期待(投資)しなくなったら、確実にジリ貧になりますからね。

ただし、大学進学は「人生の中の数ある選択肢の一つ」であるべきであって、その意味ではもっと相対化されるべきだとは思います*1。この点は、元ネタ記事に賛成です。


私は、世の大学生と大学院生に言いたい。
あなた方は、人生の中でも特に「何でもできる」時期に生きている。
その「何でもできる」時期にあえて「大学に通う」という選択をしている。
「何でもできたはずの時間」をわざわざ好きこのんで「大学で講義を受ける」ということに使っている。

働いて金を稼ぐこともできたし、放浪の旅に出て人生経験を積むことに使うこともできたし、自分の好きなことを究めるために使うこともできた。

その時間を、「あえて」「わざわざ」「好きこのんで」、「大学に通う」ということに使っている。

そのことについて、十分に考えてもらいたい。

*1:修了した私が言うのもあれですが、大学院なんて尚更ですよ。「工学系の学生は大学院に進学するもの」っていう世間の風潮によって毎年毎年延べ何年分の人の「最も大切な時期」の人生をムダにしているのか、考えただけで本当にぞっとします。