本の林:「CODE VERSION 2.0」 ローレンス・レッシグ、翔泳社
本の林:はじめに
【連想する本】
■ 「アーキテクチャの生態系」 濱野 智史、筑摩書房
この本は、ジャーナリストの神保 哲生さんと社会学者の宮台 真司 先生がメインでやっている「マル激トーク・オン・ディマンド」というネット放送局で、一時期やたらと話題にしてたので買ってみた、というもの。
ネットの世界は、その裏側までよく知っている「コードを書く人」には「なんでもアリな世界」なんだけど、私のような大半のユーザーにとっては、あたかも現実世界の物理法則のような「動かしがたい厳格な法則がある世界」のように映る。
どういうことかというと、今私はこの記事を編集用のテキストボックスの中に書き込んでいますが、なにも私が好きでディスプレイの「この位置」に配置された「このテキストボックス」に書き込んでいるわけではありません。
もともと、記事を更新するためには「この位置」にある「このテキストボックス」に書き込まざるを得ないから書いているのです。
もっと言うと、このテキストボックスには「テキスト」は書き込めますが、絵を描きたいと思っても描けません。(貼れますが)
もっともっと言うと、普通「このテキストボックスに絵を描きたい」と思うことすらありません。
この状態こそが、ネット空間における「目に見えない支配」の形態だ、と指摘したのがこの本。
そう、今のネット空間はコードを書く人が実質的な「神様」なのです。
この視点にはおったまげました。
「なるほど!たしかに!」
と読みながら何度もつぶやいたように思います。
そういう視点で見ると、ネットの世界って単にツールとしての面白さだけじゃなくて、哲学的(というか学術的というか)な面白さもありますよね。
他にも、ネットのそういう面白さを感じた本は
「アーキテクチャの生態系」 濱野 智史、筑摩書房
があります。
これを読むと「なるほど、『生態系』とはよく言ったものだ」と感心します(何目線?)。
「生態系って、つまり、自分が依って立つ表層部分がわかっていればその下層まで理解しなくとも生きていけるシステムのことなんだな」って、この本を読んだとき思いました。
自然界もそうですもんね。地面の下がどうなっているか知らなくたって、自分の体の中にどんな寄生虫や細菌類がいるか知らなくたって生きていけますもん。
でも、そういうのを「知らなくても生きていける」ということは、そういうものが「なくても生きていける」ということではない。
そんなことを考えていた気がします。
最初の本に話を戻すと、最近、VRのゲームが出たりテーマパークのアトラクションができたりしていますが、そう遠くないうちに「セカンドライフ」的なVRのネットゲームが出てくるでしょう。
映画の「マトリックス」的な世界が徐々に現実味を帯び始めています。
そんなことを考えていて、ふと、「あれ?もしそうなったら、もしかして、もしかすると、物理学(力学)を勉強する強い動機が薄らいでくる?」という疑問が浮かびました。
物理学は現代社会の根幹です。中核です。命です。
でもそれが、人類にとって未来永劫ずっとそうだろうという確信が、いま、僅かに、本当にほんの僅かですが、揺らいでいるような気がします。
人類が物理学を飛び越えた世界に住み始めたら、それこそ本当に天地創造の神の領域です。
そんな世界で本当の神様として君臨するのは、「コードを書く人」になるのかもしれません。