昼飯前に書いてみた
更新です。
今回の話題はこれ↓
「在るべきか在らざるべきか、の問題」
はい。
またわけわからんこと書きます。
癌に対する新しいお薬が話題ですね。
これは「命とお金」という、かなりキツイ問題を投げかけていると思います。
そんなエグいことを議論しなきゃいけない時代なのですね。
さて、今回はそれ関連で考えてみたいと思います。
オプジーボやらiPS細胞やらAIやらがこれからの医療を激変させるかもしれませんよね。
ヒトを自在に「作る」とか、癌までも治る病になるかもしれない、なんて、いよいよもって神様の領域に片足突っ込んだ感もありますが、そろそろ冗談でなく、多くの人が「いつ死ぬかを自分で決めなければならない」という極めて残酷な時代が来るのではないでしょうか?
本当に。
今だって実はもうそういう時代かもしれませんよね。
心情とか倫理とかそういう話を抜きに、単に構造的な視点で見れば、昨今の介護疲れが原因の殺人事件は、「生命維持の限界」を決めるものが「医療の技術的な限界」から「社会的リソースの限界」に変わりつつあることを端的に示しているのだと思うのです。
「長生きするリスク」なんて倒錯した言葉もあるくらいですから。
これから医学が異次元進歩を遂げて、「カネさえかければいくらでも延命できる」社会がやってきたら、私たちはその到来を素直に喜べるのだろうか?
手の打ちようのない事柄が減るということは、どこかで誰かが決断しなければならない事柄が増えるということ。
「誰の責任でもない、誰であってもどうにもならなかったこと」が減って、「誰の責任でもないが、誰かであればどうにかなったこと」が増える。
私たちはそんな状況にどう対処するのだろうか。
思うに、価値観が変わるのではないでしょうか?
つまり、上に書いたように「自分の寿命は自分で決めよう」的な価値観にシフトするというのが、この問題をやり過ごす一つの方法だと思うのです。
多分、「本人が希望したから、仕方がない」と言う理由がないと、周りの負担が大き過ぎる。
他に良い方法があればいいのですが。。