更新です。
今回の話題はこれ↓
「私、内向き人間です」
はい。
昨日買った本を読み終えました。
英国セント・キルダ島で知った何も持たない生き方ーー井形慶子 著、筑摩書房
イギリス北部にある諸島で厳しい自然環境に晒されながら暮していた少数民族が、特に産業革命以後、イギリス本土から流れ込んできた「文明」に接することで、どのように変化していき、民族全員の「離島」という事態に至ったかを描いた本。
こういう本を読むと、際限のない上昇志向・進歩・変化を良しとするような、今の人たちが共有する価値観を大昔の人が知ったらげんなりするかもな、って思います。
職場に居れば、「誰それは配慮が足りない」だの、「誰それは仕事が遅い」だのといった話を毎日のように耳にするし、プライベートでは、幸せ自慢やリア充自慢(と思しきもの)を見聞きする。
私は人からの評価をあまり気にすることもなければ、人の自慢話に対して何の感情も抱かない(他人に興味がない、というのが実情かもしれませんね 笑)ことが多いのですが、あまりにこのような「毒気」に触れていると、だんだんと自分が惨めに思えてきて、悲しい気持ちになってきて、そんな感情が湧いてきた自分が嫌になったりします。
でも、そんな惨めに思える現状は、つい数日前と何一つ変わっていなくて、その時はとても心地良く、大らかに過ごしていたりする。
これは一体何なんだ?と思うのです。
私はあまり無駄遣いはしない方なのですが、ノートは無意味に買ってしまいます。
これは学生時代から続いている癖みたいなもので、文具売り場でノートを眺めては、気が向いたときに1冊買って帰ります。
家で買ってきたばかりの使い道のないノートを開き、「何に使おうか」と思案するのです。
その場の思いつきで、日記を書いてみたり、小遣い帳にしてみたり、アイデア帳にしてみたりするのですが、そのほとんどが2、3ページ書いて本棚に仕舞われておしまいになります。
買ってもしょうがないことはわかっているのですが、性懲りもなくそんなことを繰り返しています。
私、何も予定がない休日が好きです。
朝起きて、「さて、今日は何しようかな」って、あの時に感じる自由がたまらなく好きです。
その日の気分ですることを決めるあの自由気ままな時間の使い方が心地良いのです。何となく、ムダにノートを買う癖も、ささやかながらこんな自由さを求めての行動なのかもしれません。
私があまり好きになれない言葉は、「人生一度きりなんだから」と「今しかできないんだから」。
そりゃそーだ。
反論の余地はない。
でも、どちらも「時間の正しい(あるいは好ましい)使い方」を暗に指示する言葉で、この言葉が出てくると一気に萎える。
こんな殺し文句でせっかくの自由な時間を使わされたくない、と感じてしまいます。
こういう自由な時間の大半は、人との話のネタになるようなことはしません。
というか、話のネタに何かをしようという気がありません。
なので、周りから見れば、とてもつまらない人映るかもしれませんし、「こいつ、何が楽しくて生きてるんだろう」なんて思いから、色々と聞いてくれていると思われる友達もいます 笑
心配してくれてありがとう。でも割とこういう生活が好きなんだ。
って感じです。(ただ、あんまりこんなことを言ってると友達からのお誘いが全くなくなりそうなので言いませんが 笑)
蝉が鳴いて、空が青くて、遠くに山が見えて、陽射しが眩しくて、木々が青くて、今日の予定がない。
これがこの上なく心地良い。
これ、わからない人にはわからないんだよなぁ 笑