自宅に帰って書いてみた
更新です。
今回の話題はこれ↓
「原理的な生活」
はい。
前回の記事の続きと言えば続きなのですが、「温泉旅館で長逗留計画」を途中で切り上げて帰宅しました。
前回の記事書いた後、温泉入りながらちょっと考えたのですが、選んだ本がまずかったかもしれませんね。
どこかのタイミングでもう一回だけ試してみようかな。
ま、それはそれとして。
宿泊先の周りをうろちょろ散歩したときに思いついたことを少し。
最近、ミニマリストってのがあるじゃないですか。
流行ってるのか流行ってないのかよくわかりませんが、とにかく家に必要最小限のモノしか置かない人とかそういう生活スタイルがある、とかないとか。
私は完全にその気があって(こういう、時流に乗ってる気は毛頭なくて、ただアクの強い個性だと思っていた嗜好が、実は「最近増えてる」なんて聞くと、自分もこの時代の典型的な反応をしてるだけなんだなぁ、なんて思います。)、テレビや雑誌に出るような人ほど徹底してはないにしても、一般的にはかなり簡素な生活スタイルの部類になると思います。
で、旅館の周り歩いていて、山あり川あり田畑ありで、田舎なんですよね。
あんまり見掛けない虫がいたり、強そうな鳥がいたり、広い空を背景に黄緑やら深い緑やら、色合いの違う緑のモザイク模様で賑やかな山々があったり。
ひろーい田んぼの片隅でおじいさんが作業していたり、ちっちゃな小学校があったり、朽ち果てた小屋があったり。
すれ違う地元の年配の方が「おはようございます」なんて挨拶してくれたり。
(こういうことを書くのは、受け手によっては非常に失礼な話になるのは重々承知なのですが、)歩いていて「あ、いいな」って思いました。
何がいいかって、原理が近そうなんですよね。(実際どうなのかはよくわかりませんが)
身近なものの原理が身近に見えるような感じがするんです。
少なくとも「この田畑で実っているものが私の胃袋に入るんだ」ってのが視覚的にはっきりとわかる。
「熊に注意」なんて看板で、制御できない自然の恐さを感じる。
ハイテクとローテクが混在してそこにある感じが、今が昔からの続きものなんだってのを意識させる。
近くにいる人は挨拶すれば返事が返ってくるくらい近くにいる、っていう当たり前のことに気付く。
少々大袈裟でノスタルジックに書いているかもしれませんが、でもそういうことなんだと思います。
私は(もしかしたらミニマリストと呼ばれている人の一定の割合の人は)、原理の近くで暮らした方が心地いいのだと思います。きっと。
もちろん、そんな私も、今だって何で動いているのかも、どうやって作ったのかもさっぱり検討もつかないPCの前でキーボード叩いてますし、スマホだって使ってます。
ボタンを押せば店員が出てきて、注文すれば料理が出てくるようなところで食事しますし、極論すれば、自炊するなんて言ってもスーパーで陳列された物の中から選んで買ってくるワケですから程度問題なんですけれども。
でも、もし私みたいな人が一定程度いるのであれば、現代の都市生活って、拒否反応を示す人が出てくるくらいには原理から遠い生活スタイルなんじゃないでしょうかね?
人間は理由とか道理が好きな生きものですから、どんな人であっても、わけわからんところで暮らすってのには限度があると思うんです。
どこかで気持ち悪さというか、居心地の悪さというか、そういうのを感じるんだと思うのです。
…違いますかね? 笑
話題変えて連投します。