だらりだらりと書いてみた
更新です。
昨日の残りを少し書きます。
今日の話題はこれ↓
「モノを売るのとコトを売るのって、意味合いがだいぶ違うよね」
はい。
基本的には前回の記事の焼き増しになるのかなと予想してますが、取り敢えず進めます。
私、ほんの一時(2、3日間くらい)、「自分で商売しながら生活できないかなぁ」なんて考えて、ネットでポチポチと検索して諦めたことがあるのですが、その調べものの中でちょっと驚いたことがありました。
それは、売るもののことを一律に「商材」と呼び、生活の糧になるその「商材」をまるで厄介者であるかのように扱う、ということ。
商売人と商材の関係って、傍から眺めていると、結構不思議で面白い関係なんですよね。
手元に一杯あっても困るし、全くなくなるのも困る。
常に商売の目標は「完売」なんだけど、本当に実現したらダメ。
商売する人は、商売を始めた瞬間からこの葛藤が始まるわけでしょ?
もどかしいなぁ。
(あ、理想は始業から終業までのお客さん全員に「お客さん、ツイてるねぇ。ちょうどその商品入荷したばかりなんだよ」と「お客さん、ツイてるねぇ。ちょうどお客さんの注文分で売り切れだよ」って言葉をいっぺんに言える状況にすることか。(もちろん、それをお客さんに言うことが目的ではない)
合わせると、「お客さんツイてるねぇ。ちょうどお客さんの注文分だけ入荷したところだよ」みたいな?)
でさ、今から商売を始めようとする人は、当然だけれども自分の「商材」を決めなきゃいけない。
この時のものの見方がまた面白い。
在庫の管理に場所がいる(金がかかる)か否か、商材の価値はストックされた時間によって変化するか、などなど。
こういう考え方でものを見ると、机の上のボールペンだろうが、今着ているコートだろうが、冷蔵庫にある野菜だろうが、バンドのライブチケットだろうが、スマホのアプリ(これは、プログラムだから、つまり、ロジックの一片、1つのカタマリを売ってるんだよねぇ。。。…実に興味深い。)だろうが、なんだって同じものに見えてくる。
なるほどな、って思いましたよ。
この視点は、当時の私にとってとても斬新だったんですよね。
さて、本題です。
売り手側から見ると全てが同じに見えるわけだけれども、買い手にとってはそうではない。
コートを買いに来た人が野菜を買って満足するはずもない(いや、場合によっては満足する人もいるかも)。
こういう状況で、「コト」を買う場合、売られている「コト」は、売り手にとっては、(少なくとも表面的な態度において)まさに「売るほどいらないもの」ということになる。
このことについて、買い手が(自覚的であるかはさて置き)感じているとするならば、いずれ、その「コト」について、買うほどの価値を見出せなくなるんじゃないかなぁ、って思うんです。
モノの場合は、そうでもない。
モノを通じて経験できるコトが売り物ではないから、そのコトについて醒めた見方をする人に接することがない。
ってことは、そのコトの中に入って本気になれる(んじゃないかなぁ。笑)。
コトを売り物にした瞬間に醒めた見方をする人と必ず接触しなきゃならない。
そこにね、モノ売りとコト売りの大きな差があると思うんです。
こういう見方って、きっとだいぶ内向きな人じゃないと共感してもらえないだろうなぁ 笑