新年迎えて書いてみた
あけましておめでとうございます。
さて、本年1発目の記事のテーマはこれ↓
「こじらせ」なる状態についてググって思ったこと。
なんかよくわからんけど、ふと「こじらせ女子」という言葉が頭をよぎったので、「こじらせ」についてググってみました。
つまり、自分の中の卑屈な心を自覚し、そんな自分を「受け入れている」ってな自己催眠をかけてしまった精神状態ということでよろしいでしょうか?
自分もそうなんだろうなぁ(自覚なし)。
自己催眠が完成してしまうとそのことを認識できないので、もはや自分が「こじらせ」てるのかどうかすらわからないですね。
でも、「こじらせ」って、程度の差はあれ、誰にでも当てはまる現象なきがする。
あと、「こじらせ」でググると大体が恋愛「みたいなもの」とリンクしていますね。
「こじらせ」ると、恋愛から逃げるようになる、とかならないとか。
とにもかくにも、大抵の記事は、「こじらせ」てしまうと、世間一般に言うところの「幸せ」なる状態になれないよ、というような論調ですよね。
あと、ちょっと横道に逸れると「マウンティング」なる言葉にも出会います。
「ファーストクラス」ってドラマをちょろっと観たことがありますが(あのドラマ楽しいね 笑)、「マウンティング」って、まぁ普段人と接していればよくあることで、自分でも心当たりがある言動だったりします。
ってか、「マウンティングなる言動がある」と一度思ってしまうと、人の言動の大半がそれに当たるというか、そう捉えられても仕方がない気がするのですが。。。
逆に、どう考えてもマウンティングじゃない言動って何だろう。。。
「おはようございます」とか?笑
でも、ああいうのに注目してドラマに仕立てる発想は面白いね。
さて、ここでふと思うのは、「こじらせ」も「マウンティング」も、人と接するならば、他人も自分も不可避な現象じゃないの?ということ。
ならば、殊更に「あいつはこじらせてる」とか、「うわー、いま、あの人マウンティングしたー」みたいにあげつらうのは、自分も自分の言動を過剰に気にしなきゃいけなくなるし、何というか、精神的に疲れるだけなのではなかろうか。
こういう言葉を発明しちゃうと、みんなが嘲笑の対象になるし、心理的消耗戦が起きるから罪だよなぁ。
ま、人生、笑われながら、恥を晒しながら、格好悪く生きるしかないね。
ということで、今年の抱負は
「これ以上、太らない」
でいきたいと思います。
何卒、宜しくお願い申し上げます。