更新です。
これ、読みました。
私がブログなどで「おぉ、これは!」と思う独自の考えや信条を綴っていらっしゃる方の中には、「ぐちゃぐちゃな世界」を経験したことのある方が何名かいる。
上の記事を書かれた方もその中の一人のようです。
最初に読んだ記事はまた別のものでしたが、気紛れに読んだ記事に何となく私と通ずるところを感じまして、何本か記事を読み、上の記事に行き着きました。
リンク貼ってますが、私自身「ぐちゃぐちゃな世界」を経験したことはありません (温室育ちですので。でも、そういう経験はできるに越したことはないでしょうね。私も、今後、死なない程度にそういう経験ができることを期待します。)
さて、ここでふと思ったこと。
「私が他人の書き物を読む基準ってなんだろう?」
今回の話題は完全に自分だけで完結する問題ですね。
・・・公開に値する情報かどうかは、この際棚上げにして先に進みましょう。
1つずつ挙げていきましょう。
1. 文章に嫌味を感じない
これは、書き出しでだいたいわかります。
なんでしょうね、偏見に満ちた主義主張って、読んでいるとどうしても「嫌味」というか「胡散臭さ」というか、そういうものが感じられてしまいますよね。
というよりも、読んでいて「嫌味」とか「胡散臭さ」を感じる文章はどうしても偏見に満ちた主義主張として受け取ってしまうのです。
そういう文章には、「何かに気づける予感 (学べる予感) 」がしません。
だから、その先を読む気になれません。
どこから「嫌味」が出るのか、はっきりとはわかりませんが、傾向としてキツい (攻撃的な) 言葉+断定形で構成される文章に「嫌味」を感じることが多い気はします。反論を受け付けない、閉鎖的な雰囲気っていうのかなぁ。
でも、キツい言葉+断定形でも「嫌味」を感じない文章があるので、なんとも言えませんね (そこらへんは、私の偏見が強い部分なのかもしれませんが) 。ただ、反対意見を聞く準備があるよ、ってところを明示的でなくとも醸し出している文章でないと好きになれません。
せっかく読むなら建設的な文章がいいですよね。
2. 自分の考えを明確にもって主張している
自分の考えをもっている人の文章は、そうでないものと少し趣が違ってきます。独自の解釈を独自の言葉選びで表現するので、文章全体に独特の雰囲気が一貫して流れています。
こういう文章は「私の知らない何かありそう!」と思うのです。
3. 共感できる
三番目にこれを挙げるのが適切かどうかは検討の余地がありますが、「あ!それ、わかる!」とか「同じ考えだ!」って感じたものは、「うんうん、やっぱりそうだよねぇ!」って自己満足に浸りながら読めますし、自分の考えに自信がつくのでついつい読み進めてしまいます。
自分との共通項が1つでも見えた人だと、たとえある点において主張が180º違っていても、拒絶することなく、じっくり自分の考え方を点検することができるので、有意義な時間を過ごせます。
4. まったく異なる人生を歩んでいる人
3.とは正反対ですね。
これは、私にとって新しい世界を疑似体験する楽しさがありますので (笑)
私の知らない世界で得た経験からどんな考え方が醸成されるのか、とっても興味があります。
みんなはどんな窓から世界を眺めているのだろうか?
と、ここでは真面目な (おちゃらけてない、という意味で) 内容ブログなんかを読むときの基準を書きました。
こういう類のものは、読むのも書くのも好きです。
年長者と飲むときなんかも、「おじさんの説教」に聞き入ってしまったり 笑
ま、次の日には2割くらいしか内容を憶えていませんが。
あーあ、違うこと内容書こうとしたのに完全に話題が逸れちゃった。
まあ、いいか。
では、また。