引き続き更新。
さっきの記事書いて風呂入ったらいろいろ頭の中で展開しちゃったのでアウトプット。
「努力したがり」はロクなことがないというお話から、
よくある「好きなことを仕事にするな」という言葉はそういう意味も含んでいる警告なんじゃないかなぁなんて思ったりします。
好きなことだと人って「努力したがり」な人になる可能性が高そうじゃないですか。
そうすると、商売人としては全く使えない人になってしまう可能性が高くなりそうじゃないですか。
商売人として全く使えないと、本人も困るし、雇う側も困るし、お客さんも困って良いことが1つもないですもんね。
単に「好きなことが仕事になると嫌いになる」ということだけを言った言葉じゃないんじゃないかなぁ。
ということから、最近誰かのブログ (すみません、ソースはわかりません。。。) で書いてあった、「就活生が『○○が好きだから』という理由で企業を決めるのは安直すぎないか?」という主旨の記事を思い出しました。
確かに、就活生の大半は『○○が好きだから』という理由を使うでしょうけど、実際にはそこまで思い入れはないと思います。
むしろ、企業が『○○が好きだから』という強い情熱を持った人を採用する (もしくは、そのように見えるように宣伝される) から就活生は『○○が好きだから』という理由を作って就活するのではないでしょうか?
それに、『○○が好きだから』は、簡単にその企業に近づく理由になりますしね。
というところから、さらに話が飛んで大学のブランド力の低下の話に。
そんなこんなで、大学生の質の低下なんかが囁かれて (叫ばれて?) いますね。
今時、良い大学に入ったって将来安泰じゃない、とか、大卒生にこだわって採用する必要ないんじゃない?とか、大学は就職予備校と化した、とか。
とりあえず、大学批判をするのは、企業か企業で働こうとしている人の目線である。
そもそも、世間一般に言われる「大学のブランド」というのが、企業か企業で働こうとしている人に対して有効な「ブランド」の意味であると (私には) 捉えられる。
さて、もし仮に、上の意味での「大学のブランド」が完全に崩壊したとき、どうなるのでしょうか?
企業が中・高卒を率先して採用して、大学に行く人は激減するでしょうね。
そうなったら、大学は大昔の大学の姿に戻るんじゃないかな。
なんというか、浮世離れした賢い変人達の溜まり場みたいな、とても刺激的な場所に (想像ですが) 。
大学って本質的にはそういう場所なんじゃないでしょうかね?
そういう、というのは市中の経済活動とは少し離れた世界という意味です。
大学はそういう世界で良いと思いますけどね。
もう眠いので終わり。