これ書いてたら遅くなってしまった
更新します。
やっぱりアクセスが伸びるとうれしいですね。
調子に乗ってどんどん更新してしまいます。
ということで、出かける前に1つ。
数年前に、マルセル・モース著の『贈与論』という本を買いました。
未だ読み切ってはいないのですが、とても鋭い洞察で人間社会の仕組みについて切り込んでいる名著です。
未だ読み切ってはいないのですが、「人間って『交換するもの』はホントのところどうでもよくて、『他者との交換』そのものを欲しているんだなぁ」とすごく納得しながら読んでいました (今は読んでいません、そのうち再開したいです) 。
未だ読み切ってはいないのですが (しつこい?) 、貨幣を介した経済も、結婚も、とりとめもない世間話だって、すべては『他者との交換』がキーワードとなるみたい。
ここで言う『他者との交換』は、決して与えてくれた人に対してお返しする直接的な交換のみではありません。与えてくれた人とは別の人に与えることも含みます (なんて言ったっけな?) 。
そう考えると、人間が面白味を感じること (つまりは、価値を見出すこと) って『交換』という行為が確かに入っている。
私がチビだった頃、トレーディングカードを自作したけど全然楽しくなかったのはそこに『他者との交換』という行為が入っていなかったからなのだ (トレーディングなのにね) 。
私がチビだった頃、お店屋さんごっこをしたのは、『他者との交換』を毎日のようにできる大人に強い憧れをもっていたからなのだ。
私がチビから少し成長した頃、いつも楽しくお喋りできる人に強い憧れをもっていたのは、やはり『他者との交換』を欲していたからなのだ。
はてなブログでは「スター」、facebookなどでは「いいね」など、他の人の投稿を気に入ったときにそれを表明するための手段が用意されている。
これが流行るのは、「スター」や「いいね」が他者と交換するもの (口実・理由) になるからだ。
たぶん、はてなブログで「スター」をたくさん集めている人はそれだけ (いや、それ以上に?) 「スター」を他の人に与えている人なのだろうと思う。たくさん交換できそうな人に、人は集まると思うので。
人間は本能として『他者との交換』を求めているのだ。
人の「金持ちになりたい」やら「名声が欲しい」やらという願望は、「良い暮らしができる」とか「自己顕示欲が満たされる」とか、そういう理由が第一義ではないと思う。
こういう社会的な欲望のすべては『他者と今より多くの交換がしたい』ということに帰着するのではないか。
金持ちになればたくさんのモノを他者と交換できるし、名声が得られれば自分と話しがしたいと求める人が増える。
それを求めているのではないか。
もしかしたら、その次に『他者と何を交換するか?』というのが問題になってくるのかもしれない。
自分が持つ欲の根源が何であるか、何に突き動かされて行動しているのかを正確に把握しながら生活すると、より満足感の多い人生を送れるのではないか、と最近思うのです。