「体が憶えている」ということ
またも更新 (暇なの?)
http://wired.jp/2013/08/08/memories-of-planaria/
ちょっと前に読んで思ったこと。
まぁ、この記事を読む前からぼんやり考えていたことなのですが、「体が憶えている」っていうのはあると思うんですよ。別に記憶が脳みその中に全て詰まっているっていう必要はないわけで。
ほら、よく世界びっくりニュース的 な (?) ものであるじゃないですか、
交通事故に遭って臓器を移植して一命をとりとめた人が、事故の前後で食の好みが変わったとか、ドナーの人の記憶が移った
とか。
あれって、あると思うんですよ。
まぁ、食の好みについては、臓器移植で体内の平衡点 (とは少し違うが。。。) が移植前と変わってしまったことで起きるんだろうなぁ、と思うので少々違う気はするのだけれど。
たぶん、ヒトって複雑なようで単純な構造なんだろうな。個々のインタラクションはかなり単純だけど、なんせインタラクションの数が膨大だから複雑に見えるってイメージ (セルオートマトン的な?)。
あら、話がずれそう。
「体が憶えている」って話か。
んー、「あると思う」以外に特に書くこともなかったな。
どちらかというと、ヒトの体の平衡点 (みたいな?) について書いた方が楽しく書けそうだけど、きっとまとまらないと思うから今回はやめとこう (今までにまとまったエントリってあったっけ?) 。
ネタのストックをものすごい勢いで消費してるな。