いいかげん日記

思いついたことをただひたすら書き殴るいいかげんな日記です。

言葉について書いてみた

更新です。

 

今回の話題はこれ↓

「コミュニケーションについて」

 

はい。

元ネタ。

gendai.ismedia.jp

元ネタを挙げましたが、上の記事について言いがかりをつけるつもりは毛頭ありません。

ただ、書きたいことの「掴み」として使える材料を探して、たまたま検索に引っかかったので載っけただけです。(常見さん、古い記事を引っ張り出してしまってすみません。。)

 

最近、世代が離れた人どうしのコミュニケーションについて考える機会があったので、それについてひとつ。(だいぶ前に書いたネタかもしれませんが。)

 

 

私、ときどき「人って、会話するときに、自分の伝えたいことに対して、どこまで適切な言葉を使っているんだろう?」って思うんです。

 

いや、もしかしたら、私たちは言葉を額面どおりに受け取って会話することなんて、ほとんどないんじゃないかな、って。

 

 

これは私の言葉に対する感覚なので、世間とはだいぶズレてる可能性もあるんですけど、「頑張れ」って言葉は、とてもわかりやすい例だと思うんです。

 

 

私の過去の言動を振り返ると、誰かに「頑張れ!」って声をかけるときって、額面通りのメッセージも当然送りたいのだけれども、それよりも「私はあなたを応援してるよ!」とか「私はあなたの味方だよ!」という意味合いの方が大きかったりするんです。

 

額面通りの意味は、もしかしたら10%くらいの重要度かもしれない。

 

これって、みなさんもそうなんじゃないかな?って思うんですけど、違います?

 

 

だけど、「頑張れ」という言葉の負の側面を考えるときって、たいていは額面通りの言葉として考えてるような気がするんですよねぇ…(まぁ、当たり前と言えば当たり前なのですが。笑)

 

 

私はですね、コミュニケーションで問題が発生するときって、メッセージの送り手と受け手の間にこの手のズレが生じている場合が多いんじゃないかな、って思うんです。

 

 

もし私たちが、自分の伝えたいことを直接は言葉にしていないとするならば、『共通感覚』にとても依存して会話している、ということになりますよね。

 

取るに足らない平凡で単純な会話でも、実は超ハイコンテクストなコミュニケーションをしているということはないでしょうか?

 

 

これは私の妄想ですけど、全ての言葉を額面通りに受けとめたら、途端にこの社会は回らなくなるはずです。

 

 

「歳の離れた人と会話ができない現象」は、たいてい若者を批判する材料になりますが、もう少しフラットに考えると、

 

「双方の間には存在しない『共通感覚』を参照しようとしたことによる通信エラー」

 

と捉えられると思うんです。(これは私の感覚ですが、若い人ほど言葉の「額面通りの意味」を大きく見積もって受けとめているのではないでしょうか?)

 

 

もし、そういうエラーを避けようとするならば、「相手は私の『共通感覚』のどの部分を共有しているか?(していないか?)」を意識的に探る必要があると思うんです。

 

できればその後に「なぜ、自分はその『共通感覚』をインストールできたのか?」とか「なぜ、相手にはその『共通感覚』がインストールされなかったのか?」について深掘りして考えたいところですが、、

 

 

それは学者さんの仕事かな?