更新です。
今回の話題はこれ↓
「『大衆の反逆』を思い出した」
はい。
まずは、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
新年の挨拶はこのくらいにして、本題です。
ツイッターで目に入ったので読んでみました。
私は「朝生」を見ていないので、この情報源だけをもって論じるのもかなり危険なのですが(情報源が情報源なだけに、特にね。笑)。
でもこの場合、専門家を批判する方が健全だと思いますので、そんな風に書いていきます。
まず思ったことは、いわゆる「インテリ」のインテリらしからぬ発言は、やっぱりやめた方がよいのでは?ということ。
相手がどのような人であっても、相手を罵倒するような、高圧的な物言いをする人は知的に見えないと思いました。
あと、もしこの記事のような議論が番組で展開されていたならば、個人的には、東大教授がそこに参加して欲しくなかったな。
東京大学の教授ともあろうお方が、なぜ素人の戯言ごときにそんなに余裕がなくなってしまうのだろうか、と思う。
知的な世界にも「インテリヤンキー」がいるのは知っていますけど、その道で日本のトップを走る方であれば、、、いや、こうやって書くこと自体、品がないので人のことは言えませんね。
それに、それもこれも、もしこの記事に書いてあるようなことが起きていたのなら、の話です。
次に思ったのは、真に「インテリ」なら、すべての可能性を議論もせずに排除しないはず、ということ。
こういう大事な話では特に。
(実践できているかわかりませんが)私が、自分の言動に「偏りがある」と判定するチェック項目の一つに、「頭から否定したとき」というものがあります。
「頭から否定する」ってのは、一種の「思考の節約法」なんですが、こういった場合って、自分が否定したものにある「理路」をしっかりと理解していない場合なんですよね。
人間が考えることなんて大体一緒なんですから、真面目に考えても全く理解できないってことは、そうそうないはずだと思うんです。
大半の人間は、本能的に「理由」とか「理路」とか「筋」ってのが大好きなように出来ていますから、支離滅裂なことはそもそも言えないんですよ。
だから、他人の言うことには「一理」あるし、全くもって理解不能なことってほとんどない。
にもかかわらず、「頭から否定する」ということは、自分がそれについて単に「考えたくない」ということであって、それが自分の「偏り」だと思うんです。
だから、そう軽々しく「この意見、認識、理解が正しい」なんて言えないはずですし、人の発言に呆れたり怒ったり小馬鹿にしたりすることはできないはずなんです。(私もやりがちですけどね。まだまだ未熟者です。)
もしテレビでインテリを自称したり、インテリ「風」を装うならば、相手の発言をきちっと受け止めて建設的に議論を進めて頂きたいと思います。(それでは現在のテレビ視聴者層から視聴率を取れないでしょうが。…でも、視聴者層の開拓はできるのでは?とは思います。)
最後に、この記事を読んで思い出したのは、オルテガが書いた「専門家の時代」という言葉と、「専門家」に対する痛烈な批判。
オルテガは、「大衆の反逆」の中で、「専門家こそが『大衆』の典型だ」的なことを書いていませんでしたっけ?
これはね、全員が心の片隅に仕舞っておいた方が良いと私は思う。(特に、この問題とは異なる専門分野で活躍されている方々(出演者のほか、視聴者も含めて))
それと、知識があること自体は偉くもなんともないんだよ。
きっとね。
追伸:
こんな記事を書けるのも、上の記事を読んだからでして、もし私が朝生をリアルタイムで見ていたとしたら、こんな風に思うかというと、自信がない。
ま、私なんてその程度のレベルだから、ホントは人のこと言えないんだけどね。