いいかげん日記

思いついたことをただひたすら書き殴るいいかげんな日記です。

言葉の裏を書いてみた

更新です。

 

今回の話題はこれ↓

「恋愛・結婚について」

 

はい。

とある人から「結婚は?恋人は?」と聞かれ、どちらも「NO」と答えたら「なぜ?」と聞かれたので、「面倒くさいから」と答えたのですが、その後「はて?なぜだろうか?」と思い、少し考えてみました。

 

www.nhk.or.jp 

クロ現でも取り上げられたみたいですね。(某動画サイトにも上がっていましたが、リンクは避けておきます。)

 

「私の感覚が主流だ」というつもりはサラサラないのですが、この番組、私にはなかなかシュールに映りました。

 

春香クリスティーンさんをはじめ、番組に登場した「今どきの若者」たちがある程度はっきりと理由を表明しているのに、その大事な部分を取材した側が見事なまでに掴み損ねているような番組になっている気がしてなりません。

 

 

これは私の個人的な感覚であって、誰かに話したりしたことは一度もないので一般的に言えることなのかはわかりません。

 

ただ、私の場合、自分から積極的に人と親密な関係になろうとすると、それこそハンパなく「気疲れ」するんです。

 

LINEやメールのやり取り一つでも、送信した後に自分の頭の中で、ものすごい回数のフィードバックがかかって、返事が返ってくるまでに、ただひたすらに精神を消耗する。

 

好意を持った人とのコミュニケーションが、ただひたすらに精神をすり減らす苦行になるんです。

 

で、どのような結末であれ、その人と頻繁にコミュニケーションを取ることがない関係に戻ると、精神的に非常に安定する。

 

そして思うのです。

 

「なぜ、私は好き好んでこんな苦行を自分に課さなければならないのか?」

 

 

 

番組中で春香クリスティーンさんが発した「結婚までのプロセスの中にある無駄」という言葉の中心的な意味は、感情の起伏(それも、自分に対するネガティブな)だと、私は推察します。

 

その他に説明していた「無駄」は、自分の意見の合理性を取り繕うだけの表面的な「理由付け」であって、そこに大事なことは何もないと思う。(少なくとも、私が同じように答えた場合はそうなる。)

 

春香クリスティーンさんの発言を受けた後の松村さんの発言で、両者の決定的な「感覚のズレ」が露呈したと思います。

 

 

松村「…でも、いきなり結婚って言う前に、やっぱり、ある程度時間をかけて、相手とぶつかり合って…」

 

 

これは私の主観ですが、

 

この「相手とぶつかり合って」関係を深めていくという感覚は、特に同世代の中で人間関係を築くときには、「当然のように共有されている共通感覚リスト」の中に、もう入っていない。

 

この番組から感じたシュールさは、番組制作側の「ユメにも思ってもいない部分」に断絶がある、ということから来ているような気がします。

 

私も、もう「若者」というカテゴリから抜けそう(もう抜けた?)なので、若者代表みたいな書き方は出来ないでしょうが、まだ、いまの「若い世代」の状況を推察できる程度には近しいバックグラウンドを持っていると思っています。(希望的観測)

 

だいぶデフォルメはされているのかもしれませんが、(おそらく)私より下の世代特有の「共通感覚」を描いた映画としてはこれが挙げられるのではないでしょうか↓

nanimono-movie.com

この映画に描かれたようなコミュニケーション様式が確立する時期は、いまどこまで若年化しているのでしょうか?

 

私の世代よりも、もっと若年化しているであろうことは、わりと確信をもって言えます。

 

このような環境の中で、自省的に「ならずに」生きるためには、どんな人格やどの程度の精神的なタフさを、どのくらい早い段階で身につける必要があるのだろうか。

 

 

 

もっとはっきりと言うと、

 

いまのコミュニケーション様式の中に「私は相手をある程度信用するし、相手も私を同じ程度信用しているだろう。そして、同じことは相手も私に対して思っているに違いない」というある世代の人までは無意識のレベルまで刷り込まれた(おめでたい)前提(あるいは勘違い)は、もう共有されていない。

 

びっくりするほど根本的なレベルから、根こそぎない。

 

おそらく、昔からそんな前提は幻想だったんだと思う。

でも、みんなが同じ幻想を持っていたし、それが幻想であることを知る術を持たなかったから、ある程度実現されていたし、上手く回っていた。

今は、それがテクノロジーによって可視化されるようになって、現実を嫌でも自覚せざるを得ない状況になってしまった。

 

そんなところじゃないだろうか?

 

今の環境であれば、子たちが、昔のような「幸せな勘違い」を中学卒業までし続けることはまずないと思う。

というか、小学校を卒業する頃までにはもう醒めてしまっているだろうと思う。*1

 

相互の信用が確信できなくなると、下手なことは発言できなくなる。

だから、「空気」という名の行動規範からはみ出さないように、ひたすら「自省的に」自分の日々の言動を検討する。

 

たぶん、こんな日々の「どうにも嘘くさい」コミュニケーションの繰り返しに疑問を持っている子たちも少なからずいるはずだ。

 

 

 

「同世代の友人関係ですらこうなんだ。こんな状態で、恋人関係を作れなんて、もう、こっちの身が持たん。」

 

 

 

「なぜ、恋愛/結婚しないのか?」という年配世代の質問に対する「面倒くさいから」という身も蓋もないの回答の裏には、その程度の事情は込められている。

 

少なくとも、私の場合は。

*1:自分に対する自信は、この「幸せな勘違い」の上でまず形成されるだろうから、この勘違いの過程をすっ飛ばすと、精神構造がだいぶ歪むのではないか、と勝手に考えています。