いいかげん日記

思いついたことをただひたすら書き殴るいいかげんな日記です。

朝のはじめに書いてみた

更新です。

 

今回の話題はこれ↓

「私らにとって大事なものってなんだろう」

 

はい。

上手くまとめられる自信は皆無ですが、ふと思ったことをひとつ。

 

ここ数年で「日本だけ貧乏になっている」という言説が語られることが多くなっているみたいです。

「はたらけど はたらけど 猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る」状態でしょうか。。

それと直接関係するかどうかはわかりませんが、私たちの行動規範はこの国の姿を形作る重要なファクターのような気がします。

 

外国で勉強した人が日本に帰ってくると、「これだから日本人は」とか「○○(自分が行った国)ではこれだけ進んでいるのに、日本はまだこんな状態か」とか、そういう言い方で日本の現状を批判することがよくあります。

かく言う私も、(外国で勉強したことはありませんが)外国人が書いた本を読んでいると、「なぜ日本ではこういう考え方が広まらないのか?」と疑問に思うことがあります。

 

でも、最近は、日本人の行動規範が他の国とは根本から違うのではないか、と感じ始めています。

「空気を読む」や「忖度」という言葉があるように、私たちは、全体として「その場、その瞬間の調和」を大事にする傾向にあると思います。

そして、この「その場、その瞬間の調和」という価値感が、自分や仲間の「生命」や「財産」や「幸せ」という価値感をいとも簡単に飛び越してしまうのが、日本人のとても特徴的な性格なのではないか、と思うのです。

 

これは「だから日本人は馬鹿なんだ」ということが言いたいワケではなくて、私たちの全体的な価値観というか、変えようと思っても変えることが非常に難しい「性分」なんだと思います。

だから、いくら「人権だ」「憲法だ」と言っても、最後の最後、極限の状態に置かれると「その場、その瞬間の調和」という価値観が出てきてしまう。

 

ルース・ベネディクトの「菊と刀」では、この性分を「恥の文化」と表現したんじゃないかな。

 

最近観た映画ですが、第二次世界大戦では、やっぱりそういう日本人の刹那的な調和を重んじる性格がもろに出たんだと思います。

 

そして、この性格はやっぱり今でも生きていると思うんですよね。

今の日本の過酷で生産性の低い労働環境って、根底ではこの価値観が支えちゃっている気がするんです。

忙しくてつらい状況で、毎日毎日夜遅くまでクタクタになるまで働いて、「なんでこんなに働いてるんだろう」って思ったときに、いろいろな感情や動機をはぎ取っていくと、実は、自分のためでも、家族のためでも、お金のためでも、会社のためでも、同僚のためでも何でもなく、ただ「刹那的な調和」のために働いていた、というオチもあり得ると思うんです。

 

ありそうじゃないですか?

たぶん、こんな動機は他の国の人はまるで理解できないと思いますけど、日本で生まれ育った人なら程度の差はあれ理解できるはず。

働いている人が潰れそうなら潰れないように仕事をすればいいはずなのに、過労死や自殺やうつ病が多いっていうのは、私たちには人の命や健康よりも大事な「何か」があるということだと解釈できます。というか、そう考えるほかないでしょう。

 

私たちは、口ではいろいろなことを言いますが、何世代も前の先祖から今の小学生までの行動を概観する限り、これが日本人が命を賭してでも守りたがる価値なんじゃないですかね?

 

私たちのこの「性分」は、私たち自身ではっきりと認めた方がいいと思うんです。

こればっかりはどうしようもない。性分ですから。

だから、このことを頭に入れた上で、こんな私たちが「幸せ」に生きられる方法は何か?という問いを立てた方がいいんじゃないかな。

 

きっと、外国のまねではない、私たちなりの生き方があるはずです。

だって、こんなヘンテコな人たちの集まりなんて他に(たぶん)ないのですから。