更新です。
今回の話題はこれ↓
「最近になって変わったモノの見方」
はい。
先月から今月半ばにかけて続いた私の中の読書ブームでは、今まで読んでこなかったタイプの本を何冊か読みました。
今回はいつになく実りが多かった気がします。
その実りの中の一番大きなものは、なんと言っても「お金」に対する考え方です。
学生時代は、「お金=汚い」というネガティブなイメージをもっていました。
働き出して、否応なく「お金」について考えなきゃいけなくなって、そんな中で投資をし始めると、「お金=汚い」という図式は少しずつ薄らいでいきました。
そして今回の本読みで、お金に関する本を読み、「お金=価値の交換手段」という見方すら一面的な捉え方だろうな、という境地に至りました。(暴走してるかもしれませんが 笑)
今回の本読みで得た価値観は
「お金=信用の度合いを数字にして相手に伝えるコミュニケーションツール」
です。
お金を払うということは、「私は○○というモノ(サービス)を提供するあなたのことをこれくらい信用していますよ」と伝えることに等しいと思います。
なぜなら、大抵の取引は必ずどちらかが先に持っているものを差し出さなければいけないから。
金銭の授受をともなう取引が、純粋に「価値の交換」なのであれば、全ての取引が人質と身代金のやりとりのようになるはずだと思います。
つまり、「先に人質を解放しろ」「いや、まずはカネをよこせ」みたいなやりとりを毎回延々と繰り返さないといけない。
だって、「価値の交換」なのですから、差し出す価値と受け取る価値が同じであることを確認しないといけませんもんね。
そうすると、モノを買うときにお金を相手に渡すと「同時に」買ったモノを使って価値を確認しないといけません。
もちろん、そんなことを実践するのは無理です。
こういう不便を乗り越えるためには、どちらかが先に相手を信用する必要がある。
料金後払いならば、モノやサービスの提供者が客より先に相手を信用する。
料金先払いならば、客がモノやサービスの提供者より先に相手を信用する。
だから、取引が成り立つのだと思います。
そうだとすると、モノを売るときの「値付け」は、「客を選ぶ行為」とも言えるのかな、と思うんです。
つまり、値付けって「これを提供する私のことをこれくらい信用してくれる人と取引がしたい」という意思表示ってこと。
たぶん、ブランドで商売している人ってこういう感覚なんじゃないかな?
詐欺は「他人から金銭をだまし取る」ことが罪とされていますが、おそらくその本質は「他人の信用を裏切って、他人がそのまた他人に信用を示す手段を奪う」ことが罪なんじゃないかな?
金融分野で「信用」という言葉を使いたくなる気持ちがようやく掴めてきました。
今の世の中、お金がないと生きていけない。
それがとても憎らしく思っていたこともありましたが(たしか、このブログでもそんな記事を書いたような気がします)、これはつまり、周りの人に信用される人でないと生きていけない、ということ。
そして、周りの人に信用される人の多くは、周りの人を信用しているだろうということ。
これは、SNSでたくさんの人を「フォロー」したり、投稿に「いいね」を押す人が、たくさんの人から「フォロー」されたり「いいね」を押してもらえるのととても似ているように思うのです。
そういう意味では、SNSやはてなブログも一種の「経済」だと思う。