いいかげん日記

思いついたことをただひたすら書き殴るいいかげんな日記です。

本読むきっかけ書いてみた

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更新です。

 

今回の話題はこれ↓

「私が熱心に本を読むようになったそもそものきっかけを思い出した」

 

はい。

この記事を読んで思い出しました。

www.asahi.com

 

2008年頃でしょうか。

もう9年前になりますが、あの当時、政治経済のニュースを見ていて何かイヤな予感がしたんです。

不穏な空気というか、違和感というか。「何か・・・、潮目が変わった?」って。

私たちの「自由」がしぼみ始めたような、そんな気がしたんです。

 

そこで考えたのです。

 

「もしこれから私たちの自由が奪われるならば、まずその前に、私たちは「知識」を奪われる。だから、奪われる前に確保しておこう。今ならまだ、本屋に行けば本が買える。」

 

ホント、大真面目にこんな動機で本を集め始めました。

岩波文庫なんかの古典、世界史の本、現代用語の基礎知識、漢和辞典や語源辞典なんかも、すべて紙媒体で買いました。

いや、当時は本気で心配だったんですよ。

 

 

そういえば最近、どこかの誰かが「学芸員は・・・」という話をしてバッシングされたと言います。

以前この日記でも書きましたが、知識が手の届かないところに消えるとき、私はまず博物館や資料館からひっそりと消えていくと思っています。

 

 

こういうところで展示されている資料は、語られる歴史の正統性の裏付け、物証です。

だから、歴史をねつ造するときには邪魔なモノです。

もし私がねつ造した歴史を信じ込ませようとするならば、歴史の御用学者を大量に育てながらその他の学者の口を封じた上で、全国各地に散らばった博物館や資料館を統廃合します。そして、新しく作った歴史を説明するのに都合が良い物品だけを、ねつ造した背景とともに展示するでしょう。

これをメディアを使いながらゆっくりと、自然な形を装いながらやっていきます。

 

これは出来の悪い陰謀論ですが、博物館や資料館がなくなるということは、歴史の物証にアクセスする経路を断たれることと同義だと思います。

 

 

上の記事を読んで、久々にそんなことを思い出しました。