この先について書いてみた
連投です。
今回の話題はこれ↓
「シェアビジネス」
はい。
今日は何とも中途半端な1日でした。
うーん、一番よろしくない1日の過ごし方だったなぁ。
中途半端な感じで大前研一さんの講演をYouTubeを観ました。
経営者向け(?)の話だったんでしょうけど、何だか、この人の講演を聞くとこのままこの仕事できるのかなぁ、って不安というか、ぼんやり考えちゃいますね。
昨日はNHKで中村哲さんのアフガニスタンでの用水路作りの番組を観たのもあって、この先10年で自分がどんなことできるのかなぁ、ってのも考えちゃってます。
10年で何十万人もの人達の命を救う人がいて、その一方であと10年位で仕事をAIに奪われる人が出てくる。そこには自分だって含まれている可能性があって、何だかとっても情けない気分になります。
なんか最近思うのですが、私は自分のした仕事が生活に着実に積み重なっていく、そんな「わかりやすい」仕事がしたいのかもしれません。
これはこんな高度化された現代の日本ではかなり危険な思想だってことは薄々感じています。
でも、生きていく糧を自ら作る、とか、田畑に実りがあって喜ぶ、とか。
これを忘れられる状態って、ある意味とても幸せですが、ある意味でとっても不幸で危険なことだと思うのです。
こんなに簡単なことなのに、こんなに大事なことなのに、なぜ私は経験したことがないのだろうか、と。
さて、本題。
シェアビジネスって最近世界中で流行ってますね。
今日、大前研一さんの講演を聞いて、これは一過性のものではなくて本格的な時代の流れなのかもな、って思いました。
いや、大前研一さんが言ってたわけじゃなくて、講演を材料に勝手妄想してるだけなんですが。
あらゆるモノがコモディティ化する。
たぶん、これが「シェアビジネス」という形で大量消費社会の次のフェーズとして現れたんだと思います。
要は、ほとんどのモノが「ありきたりなモノ」になって、独占するほど貴重なモノが少なくなった、ということ。
本だって音楽だって服だって車だって家だって、はたまた労働力だって。何だってありきたりなモノで、余らせている。(労働力はどうか知りませんが)
だから占有することに何の感情も湧かない。
だったら経済的に有利な在り方でいいではないか。
そんな感じなのではないでしょうか?
この先、もしかしたら個人経営者が爆発的に増えるんじゃないか、って思ってます。
根拠も薄い憶測ですが、3Dプリンターを筆頭に、生産力のコモディティ化が格段に進むと思うのです。
あと、労働力と融資とオフィスのコモディティ化。
そうなったら、経営者はアイデア一発とネット環境さえあれば何でもチャレンジできる世界が来ると思うのです。
つまり、「これから会社を興します」と言ったら、後はネットで資金と場所と情報と商材と物流網が全部手に入るような、そんな世の中。
だから、今で言うリクルートみたいな求職者向けのサービスの起業家版ができると思うのです。(もうあるかな?)
そんな世の中に本当になったら、日本はきっとパラダイスです、外国人にとって。
たぶん、これから先住民族が勝手にいなくなって、高度なハードを(韻踏んだ)初期投資要らずで使いたい放題になりますので、全く新しい形のフロンティアに映ると思います。
だから、この島国はまだまだ栄える可能性がありますよ。
そのときに大和民族がいるかはわかりませんが。