ドライブ後に書いてみた
更新です。
今回の話題はこれ↓
「ハガキ」
前回の続きっぽくなります。
先ほど、家に帰るとポストに直筆のハガキが入っていました。
またどこかの宣伝か?と思ったら、某育英会の受給者からの手紙でした。
私、少し前からその某会に対してわずかばかりの寄付を始めたのですが、そのハガキを読んだ瞬間に寄付をやめようか考えてしまいました。
ハガキは残暑見舞いという形で、自己紹介、自分の境遇、近況報告が簡単に書かれ、将来の夢と顔も知らない支援者への気遣いの言葉で締められていました。
うーん、正直に申しますが、私は、親を亡くした子どもにこんな身の上を売るようなことをさせるために寄付しているわけではありません。
ましてや、自分の身の上が「売れる」ことを学ばせるためでも、そういうメンタリティを植え付けるためでもありません。
このハガキを読んでの直感ですが、受給者は定期的にこのようなハガキを書く「義務」があり、書く際には「例文」あるいは書くべき内容が示されていると思われます。
人間、生活や教育に関して支援を受けたからといって、全員がそのことに対して深く深く感謝するほど「できた」生き物ではありません。
ましてや、顔もわからない不特定多数の人からの支援ならなおさらです。
継続的な支援があれば、大半の人はそれがあることを前提として生活を組み立てるだけです。
そんなこと、百も承知で寄付してるんだから、未成年にわざわざこんなわざとらしいハガキ書かせるなよ、と思うわけです。
こんな空っぽな言葉を書く暇があるなら、友達と遊んでろ。周りと同じように普通に過ごせばいい。
ただし、将来は同じような境遇の子どもに寄付できるくらいの心のゆとりと稼ぎがある大人になれ。
それだけが君らに対する注文で、その他の余計な「気遣い」は要らないし不快だ。