いいかげん日記

思いついたことをただひたすら書き殴るいいかげんな日記です。

お腹鳴らして書いてみた

更新です。

今回の話題はこれ↓
「積み重なるということの重大さ / 科学文明と人類の生存」

はい。
今回は2本立てです。
別々の話題なので連投してもよかったのですが、何処と無く通ずるものがあるような気がしたのでまとめて書いてみます。

ではまずひとつめ。
元ネタは『流れとかたち』という、紀伊国屋書店から出ている本です。

まだ序盤しか読んでませんが、ざっくり言うと

万物は「流れ」とそれを促進する「かたち」で決まるのだ

というものの見方を様々な実例を出しながら主張するような本なのかな。


この本の全体的な印象としては、はっきり言ってエセ科学宗教的な妖しさが満天です。笑
『コンストラクタル法則』という、著者の造語が繰り返し出てきて、それがまた妖しさを増幅させております 笑

ものの見方というか、捉え方は真っ当そうですし、もう少し冷静なトーンで書けばそれなりな書物になるとは思うのですが、いかんせん、著者の確信というか、熱量がそのまま文章になってしまっているので、エセ科学宗教の狂信者というか教祖みたいに写ってしまい、ちょっと(いや、だいぶ)残念です。

えっと、書きたいのはそこではなくて、ですね。

この本の核心は、何かの『流れ』がものの『かたち』を生み、ものの『かたち』が『流れ』をさらに促進するように変化する。

というもの。いや、こういう考えはまったく同感です。だから、いろいろなものが自己組織化するのでしょうし、自分の機能を強化するように自分のかたちを変えることができるのだと思います。

例えば、川は、一旦水が流れ出したら、水が砂利や石を押し流していくのでどんどん「川らしく」なっていきますよね。

これを別の角度から眺めると、ものの『かたち』ってのは一種の『堆積物』なのかな、って思うのです。あるいは『履歴』と言った方が伝わるかな?

時間の積み重なり、今までの相互作用の積み重なり

まあ、どんな風に言ってもいいのですが。

とにかく、過去の出来事が今に反映されるときの現れ方というか、形式の一種が『かたち』あるいは『かたちの変化』なのかな、って思うのです。

で、物事が一方向に強化される系ってのは、「過去の出来事を前提にして」次のことが起きるような系なんですよね。それも、その前提がさらに強力な出来事を経験する方向に向かうようになってる系。

そういう意味で、『流れ』と『かたち』の相互作用は、この世界のかなり本質的な部分だと思います。

何かの『流れ』を『かたち』として残すことでそれ以後の『流れ』に影響を及ぼし続ける。

これが、物事を発展させる要諦かな、と。

つまり、何かを成し遂げようと思ったならば、「過去の努力を前提として」次の努力ができるような方向に向かって努力しなきゃならないわけです。

焼畑農業的な努力は積み上がらないのでいつまでたっても進歩しないということ。


もうひとつの話題。

元ネタは『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』という河出書房新社から出ている本。

前にもここで紹介しましたが、改めて読み返してみて、やっぱり良い本だと確信しました。

この本も、「積み重ね」の大事さを暗に教えてくれます。

今の生活が基本的な科学技術の要素が想像を絶するほど大量に、そして何重にも積み重なることで成り立っているんだと、教えてくれます。

それと同時に、「己の生存のための作業にとられる時間」の圧縮が(つまりは余暇時間の増大が)、人類の歴史的なテーマであることを教えてくれます。

たかだか数百年で、人類は特権階級にいなくてももてあそぶほどの余暇時間を手に入れた人の数が急増したはずです。

これはもう奇跡です。それもこれも、科学技術が、自然に対する知識が無数に積み上がった結果だと思います。

知識とは、過去の人の時間の堆積物です。

過去の人が『知識』という『かたち』で堆積しているからこそ、私たちは先人たちと同じことをしなくても良いのです。

そういう意味で、私たちは何千年も何万年もの時間の堆積物の上に立っている。

これって、すごいことですよね。