酔ってごろごろ書いてみた
更新です。
今回の話題はこれ↓
「過去と未来の想像」
はい。
有給使って連休続行中の私が書きます。
今回も前回に引き続いて今GWで失敗した長逗留計画の宿泊先でのお話が発端。
今回の旅館は、温泉が何箇所かありまして、内湯と外湯が分かれていたんですね。
で、せっかくなんで全部入ってみようか、ということで入ったわけなんです。
まぁそれ自体はそれだけの話なんですが、その中のひとつのお風呂から部屋に帰るときに、今はやってない、バーらしき小さな空間があることに気づいたんです。
それを見たとき、なんだかふと、「ここが営業していた時代っていつなんだろうな」って。
たぶん「バブル」と言われる時代はやってたんでしょうね。
その時代には若いお客さんがたくさん来て、旅館のスタッフもたくさんいて、内装は真新しくて、せわしなくキラキラした毎日が続いてたんじゃないかな。
椅子がテーブルに上げられて久そうなカウンターを見て、そんなことを考えてしまいました。
その日から、この古びた旅館の、温泉街や村の廃墟の、「まだ新しかった時代」について想像しようと努力しました。
今はこんな状態だけど、出来た当初は(当然ですが)新しかったわけで。
風呂場の木の衝立だってモノクロの煤けた色じゃなくて、真新しい木材の板だったろうし、塗装が剥げてひびが入った壁だって、最初は真っさらな壁だったのでしょう。
蛇口だって温泉の成分が凝固してこびりついたものじゃなくて、クロムメッキのピカピカな蛇口だったはず。
そのあと、ふと、今が古くなることを想像しました。
もう3、4世代進めば今のこの瞬間はもう想像できないくらい昔の話になるでしょう。
10世代先になれば、もう微塵も感覚を共感できない時代になると思います。
その間に文明の断絶が起きたら、私たちの足跡はどの程度残るのでしょうか?
情報化社会なんて言葉が死語になるくらい情報が氾濫している現代ですが、後世まで伝わる情報は案外残らないんじゃないかな、って思ってます。
自動車や家屋は億の単位で地球にありますからよく出土しますし想像もできるでしょうが、PCやその他通信機器が出てきてもなんのこっちゃわからないでしょうね。
ましてや、その背後に厖大なネットワークがあって、それを使って世界と会話してたなんて想像できないでしょう。
たぶん、その箱の中にどれだけの情報が詰まっているのか、なんのためにここまで大量に不可解で異常なまでに細かい細工をした箱を作ったのか、理解できないんじゃないかな。
それと、薄い板(スマホ)ね。
これはわからんと思う。
そんなことを考えて帰路に着いたのでした。