いいかげん日記

思いついたことをただひたすら書き殴るいいかげんな日記です。

「むむむ」と思い、書いてみた

更新です。

今回の話題はこれ↓

はい。

やっぱり、こういう記事にはどうしても反応してしまいます。
では、いきましょう。

大学の運営費交付金が減らされていく中、大学の収入をいかにして確保するか、という話題。

記事の方は、成績に応じて授業料を増額したり減額したりして、その増減額の幅や対象者の人数の分布をいじることで収入を増やせばいいのでは?と提案しております。

こうすることで、学生目線では、真面目に勉強するインセンティブが生まれ、大学目線では、自前の収入源が大きくなるだろう、と。


これ、どうだろう。
私はこの提案には乗れませんねぇ。

第一に、もともとの目的は果たして達成されるのでしょうか?

成績最下層(授業料増額組)は退学者が続出するでしょうね。現状でも奨学金などで何とかギリギリ通えている学生なんかは、辞めざるを得ないでしょうし。

個々の学生の退学理由がどうあれ、辞める人を量産したら、大学の収入は減るので非常にまずい。

かと言って、成績最下層の学生に対して金銭的にはケアできない。(と言うか、そんなをケアしたら本末転倒なわけで)

「じゃあ、その抜けた分を残った学生に被せるか」となると、学生にとっては後ろから崩れていく橋を必死で渡るようなホラー体験になりますよね。

なんだか生きた心地がしない。

実際のところはやってみないとよくわからないけど、パッと見、自分からドツボにはまりに行く制度になるような気がします。


もう一つ。

大学は「限られたパイを取り合う場所」にしてはいけないと思うのです。

これは私の主義と言うか、理想論なのでどうでもいいことなのですが、大学の本義はそうではなくて、既存の知識を普く分け与えて「新しいパイを見つけたり、お互いに満足いく分け方を考えたりする場所」にするべきだと思うのですよ。

だって、学問とか研究ってそういうものでしょ?
本来は知識って無料だったんだと思うのです。(というか、そうであって欲しい)

「無料」あるいは「格安」で転がっている知識に「価値」を見出して、それを磨き上げるかどうかが、いわゆる、愚者と賢者を分けるんだと思うのです。

「減額枠」の取り合いなんか、学生にさせちゃいかんのです。

そんなラットレースに参加させたら、大学卒業までに世界観と言うか、視野が広がらないじゃないですか。

私には、人を蹴落とす能力ばかりに長けた「優秀な人材」を作ってしまう可能性があるように思うのです。


まぁ、大学の運営側からすると、大学が置かれた環境はもう仁義なき戦いをせざるを得ない状況なのでしょう。

でも、研究教育機関として、そういう矜持は持っていて欲しいなぁ。