テレビを見たあと書いてみた
更新です。
今回の話題はこれ↓
「国民総背番号制」
はい。
安保関連と並んでマズそうなやつですね。
多分、個人にもメリットがないわけではないのでしょうが、あまりにも非対称な利益の構造になりはしないか、とぼんやり考えています。
これ、何となく、どこぞのポイントカードに似てるなぁと思います。
つまり、ポイントカードを作ったり使ったりするのにお金はかからないけれど(それどころか、金銭的な意味では得をするのですが)、その代わり、個人情報とともに消費行動(いつ、どこで、何を買ったか)を監視する権利をカードの発行元に譲り渡すという対価を支払っているんですよね。
少々大袈裟ですが、見方によっては、本人が自覚していない本人の性質を、そういう情報を通じて、相手に晒している可能性があるってことですよね。
自分が自覚していない自分の性質ほど、自分にとっての弱点になることはありませんから、非常に危険です。
彼を知り己を知れば百戦殆うからず
って、そういう意味で「己を知る」ことを要求してるのではないか、と思うのです。
ポイントカードの場合は、発行元と自分だけの、しかも金銭的なフィールドでのやり取りに限られる(はず)なので、自分が「買う」のか、相手に「買わされる」のか、の2つに1つでしょうが、国のものとなると、話がだいぶ複雑になるように思います。
今後、官民問わず、いろんなところで利用されると、否応なく、私のあらゆる性質があらゆる方面にだだ漏れていくことになる。
その過程で、まず間違いなく、自分の知らない自分が外に漏れ出すでしょう。
これは、絶望的に不利なゲームです。
私は私について全てのことを把握する必要があるのに対して、相手は私の知らない私の性質を1つでも見つければいい。
しかも、私はたった1人でそのゲームをプレイするのに対して、その「相手」は無数に存在する。(まぁ、他の誰かにとって私は「無数の相手」の中の1人なのですが)
サイバー攻撃とサイバーセキュリティと全く同じことが、現実空間にいる「私」に対して起きてしまう。
勝てっこない(と言うか、守りきれるわけない)じゃないですか。
こんな、負けが確定してるゲームに好き好んで参加したくないですよ。
自覚があろうとなかろうと、ますます、自分で自分のことを決められなくなっていくのが目に見えている。
やっぱり、社会のしくみ決めは、「どこまでの不都合を許容するか」を決めることに懸かっているように思います。
そうでなければ「1984」の世界まで突き進みそうで、チキンハートな私はとても恐いのです。