寝そべりながら書いてみた
更新です。
前回と同じように「最近見つけた良い言葉」編
全体が部分々々に先立って在る
J.オルテガ 「楽土論」
これ、かなり重要だと私は思うのです。
数年前に「大衆の反逆」を読んだ時、わけわからんなりに「いま、支配的な(若くは、支配的だと思っていた)価値観と真逆の価値観をもつ人が、とてもしっくりくる説明で彼がいなくなった後の現代を激しく批判している」ことに大きな衝撃を受けまして、また著作を読んでいるのですが、上の言葉が彼の主張の核にあるんだろうな、と思います。
彼は「専門家」なるものをとても激しく批判していました。
部分的に極めて偏った知識を蓄え、その分野においては他に誰も知らないようなことを知っているが、その他に関してはまさに「大衆」であるような特殊な人種。
そのくせ何でも知っているかのように振る舞う性質をもつタチの悪い人種。
確かこんな感じの批判だったような気がします。
読んだのは日本語訳ですが、もしあの訳が原文の雰囲気をそのまま残しているものなら、彼は「専門家」という生き物に相当な嫌悪感があったのだろうなぁ、と思います。
その嫌悪感の源泉に、上の言葉で滲み出ているような彼の世界に対する理解の仕方があるんでしょうね。
「たったひとつの分野の、その中でも更に小さな領域について詳しく知っているから何なのか?」
「お前の持っている、たったそれだけの、非常にマニアックな知識が、世界の理解にどれほど寄与するのか?」
「私はそんな瑣末なことに人生の貴重な時間を無駄にしたくない」
何だか、彼の本を読んでるときは、終始そんなことを言われているみたいで、グサグサと心に刺さるのです。
彼にとっては「全体のない部分」っていう倒錯した知識の在り方が「知的」とみなされるような風潮を許せなかったのでしょうね。
「全部に関して何かを知り、何かに関して全部を知る」
こんなことが達成できるような頭は、残念ながらもっていないが、でもそっちの方向に向かっていきたいものです。
多分、傍から見ると前時代的な指向に映るのだと思います。
でも、こちらの道が正解なのだと、私は思うのです。