いいかげん日記

思いついたことをただひたすら書き殴るいいかげんな日記です。

ふわふわチクチク書いてみた

更新です。

 

今日の話題はこちら↓

「ふわふわことば、ちくちくことば」

 

はい。

今朝テレビで知ったのですが、今の小学生は学校でこんなことに付き合わされているのですね。。。

なんか、薄気味悪い取り組みです。

 

「相手を傷つけるような冷たい言葉ではなく、温かい言葉を使いましょう」ってことでしょうか。

 

世の中が「そうであってほしい」という誰かの願望を今の小学生たちに託しているのかもしれませんが、「ふわふわことば」なるもので満たされた社会がそんなに理想的な世界なのかはちょっと疑問です。

 

というか、人生を通じて喜怒哀楽の全てを曖昧にしか経験できない悲劇的な世界になる気がします。

 

やっぱり、時には大喧嘩したり、人の心を傷つけてしまったり、逆に傷つけられてしまったり、不条理なこともたくさん経験して(あるいは、不条理なことを人に押しつけてしまったりして)自分なりの価値観なり、ものの見方をうち立てて、人との接し方を確立していける世界で(が)いいんじゃないでしょうかね。

 

私は、自分が到底受け入れられない価値観をもつ人と口角泡飛ばしながら論争することが、社会の活性を高めることだし、それが文化的な活動の核心部分だと考えています。

 

だから大事なのは、「仲良し」な状態とか、ケンカのない状態(結果)ではなく、議論とか論争(時には取っ組み合いの喧嘩になるかも知れませんが)を通じて活性が高まることや、(あわよくば)それらを経て、互いに対する理解の深まりや、受容や、和解があるような、そういう経験(プロセス)なんじゃないかなぁ、と思うワケです。

 

これは私の見方ですので、「学校でこう教えるべきだ」なんて主張するつもりは全くありません。

というか、こういう類の「人とのコミュニケーションの在り方」みたいな話は、学校教育で露骨に扱うべき内容じゃないと思いますよ。

 

コミュニケーションに関する自分の至らない点は、日常生活で人から注意されたり、思わぬ摩擦が生じたりすれば、嫌でも自覚しますし、そこから自然と改善していけるわけですから。

 

ちょっと、学校教育が出しゃばり気味で、学校教育を頼り気味な感じ。

 

教育機関でできることがあるとすれば、いろんな価値観の人を同じ場に集めることくらいだと思いますけどねぇ。

 

みなさんはどう思われますか?