更新です。
今回のテーマはこれ↓
はい。
また奇怪な話題です。
これは昔、少なくとも一度は話題として出したかと思いますが(いや、もしかしたら途中で書くのやめた記事かもしれませんが)、何となくまた頭に浮かんできて、やっぱり面白い視点だと感じるので、もう一回書いておきます。
この話は、私が「一般システム理論」という本を読んだ後に頭に浮かんだイメージなんですけれども
その本自体の詳しい内容はもうほとんど憶えていません。笑
ただ、私が大学生のときに唯一、「面白くてついつい全部読んじゃった専門書」だったことは憶えています。
で、ですね、この本を読んでから何日か経った後から、何となく、「あぁ、人間の体って渦みたいなんだなぁ」って思うようになったんです。(こんなことは、その本には一切書いていなかったと思いますが、どこかの内容がきっかけになったのは確かです。)
どういうことか、と言いますと、こんな話をご存知でしょうか?
例えば、こんなサイトを挙げておきますが、
「答え」 -theAnswer- 本質的な問いに対する21の回答
このなかの一番最初の話題だと思います(読んでませんので違ってたらごめんなさい 笑)。
私たちの体を構成する成分は、数年で総入れ替えが起きるんです。
ということは、「私」の「私たる由縁」は体を構成する物質そのものではない、ということです。(あ、なんとなく本とこの議論の接合点を思い出した)
で、じゃあ、一体何なのさ、ってなりますが、結局は、「構造」なんでしょうね、ってのが私の解釈。
構成要素が変わらなくても、「私」が保たれるのであれば、結局「私」は、構成要素の「組み合わさり方」が私を決めているのであろう、と。
つまり、「人間、外見(姿形)じゃないよ、中身だよ」っていう「キレイな」セリフもありますけど、突き詰めて考えると、結局は外見(姿形)なんだ、っていう面白い結論が出てきそうですよね。
でね、ここからが本題ですが、こんな状態を「動的平衡」という言葉で表現する方もいらっしゃいますけれど、もっと直感的に捉えるならば「渦」って言葉がぴったりじゃないかな、って思うのです。
ちょっと、こんな風に想像してみて下さい。
無数の粒子が寄り集まって人の形になっていて、その粒子は、その塊の表面から絶えず外の世界に散らばっていく。
それを補うように口のような形をした部分から絶えず新しい粒子が取り込まれており、人の形が保たれている。
初めは小さい人の形が、徐々に大きくなっていき、それに伴い、粒子の出入りが激しくなって、やがて、粒子の出入りが穏やかになり、そして、全ての粒子が周囲に散り、人の形がなくなってしまう。
これ、渦みたいじゃない?笑
よく複数の状態を順番に繰り返すことを「サイクル」って言うけれど(この場合は粒子の出入りのことになると思うけれど)、それだとまだ「静的」なイメージですよね。
出入りはするけど、決して元通りの状態になることはない。
ちょっとずつ、ずれている。
こういうニュアンスが「サイクル」って言葉にはない。
だから「渦」。
このイメージが浮かんだとき、
「あぁ、これを『無常』っていうのかもなぁ。」
とか、
「仏教って、こういうイメージを一足飛びに獲得していて、科学が理詰めでようやくそのイメージに追いついたのかなぁ。」
とか、思いましたね。
渦なんですよ、みんな。
たまたま、原子が寄り集まって今この場にしっかりと存在するに見えているけど、実は、お風呂の栓を抜いたときにできる渦だったり、鳴門海峡の渦だったりと、ある意味で同じなんですよ。
これ、面白い視点じゃないですか?